歩道 それ、さがしにいこうか
皆様 おはようございます。
先日の続きです。
旧古河庭園(北区西ヶ原)から六義園(文京区本駒込)へ。
5月11日は晴天だったのでスムーズに歩けました。
駒込駅南口からだと六義園染井門まで徒歩で2分程度です。
平成から令和に改元されても私の行動パターンはあいかわらず変わりませんね。
4月までは「平成最後の」という言葉が飛び交い、令和になったらなんか変わると思っていましたが、私の中身は変わってなかったです
六義園染井門。
今回は11時からのボランティアガイドさんの後をついて行くことにしました。
こちらが正門です。
枝垂桜の咲く時期はこの周辺は多くの人が押し寄せるそうです。
岩崎彌太郎さんは赤い石が好みだったとか。
もう1本の枝垂桜。
樹齢300年の松。
ツツジも見頃オーバー。
受付のところにあった12:00からの江戸太神楽 丸一仙翁社中が気になって観覧。
お昼は六義園染井門近くのこちらの小松庵総本家さんへ
小松庵総本家駒込本店さんから横断歩道を渡れば六義園。
去年は、この後、駒込駅から上野に周っていました。
スマホの歩数計は2万歩越えでしたっけ
ではまたね。
歩道 ナゾトキ×映画級
4月23日(火)、訳あって急きょ行田市の神社巡りへ出かけました
行田と言えば、ドラマ『陸王』の舞台となった足袋の街。
私の住む埼玉県ではありますが、だいぶ群馬県寄りなので、行田市に来るのはこれが初です
一社めは、
①JR高崎線・行田駅より
②秩父鉄道・行田市駅より
【行田市市内循環バス観光拠点循環コース】「富士山」下車徒歩3分、「埼玉古墳公園前」下車徒歩5分、
②の秩父鉄道・行田市駅からは徒歩でも25分くらいの、
前玉神社です
一の鳥居と社号碑。
⬇️⬇️⬇️
社号碑には「延喜式内」の文字。
一の鳥居は、延宝4年(1676年)、忍城主阿部正能家臣と忍領氏子たちによって建立されました。
行田市指定文化財です
一の鳥居をくぐり参道に入ります。
⬇️⬇️⬇️
だいぶ古そうな
狛犬さん
⬇️⬇️⬇️
二の鳥居の手前には、神橋が架かっています。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
二の鳥居。
社務所の前を通過し、右手に
手水舎
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
水盤の文字は…読めません
三文字で、いちばん左は…「玉」のようにも見えますが…
どなたか、解読お願いします
柱の上部には迫力のある龍の彫刻
⬇️⬇️⬇️
手水を使ったあとまっすぐ進むと、
三の鳥居。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
三の鳥居をくぐったら石段を上ります。
石段を上ると山に突き当たり、左へ曲がります。途中境内社があるのですが、紹介はのちほど
そのまま進むと、右手に急な石段があります。この上が社殿です。
⬇️⬇️⬇️
かなり急勾配の石段
⬇️⬇️⬇️
細かな彫刻が施された、歴史を感じる佇まいです。
⬇️⬇️⬇️
「前玉神社」は、北武蔵国の地元豪族が眠る「さきたま古墳群」に隣接する神社で、「浅間塚」と呼ばれる古墳の上に鎮座しています。
「前玉神社」が最初に祀られた時代については、古墳時代(400年代後半~500年代前半)ではないかと考えられていて、社殿は古墳群に向かって祈願するように建立されています。
神亀3年(726年)の正倉院文書戸籍帳には「武蔵国前玉郡」の表記が見られ、前玉郡の中心であった「前玉神社」の【前玉】から【埼玉】へと、700年代半ばに漢字の変化があったことから、埼玉県名の発祥となった神社であると言われています。
神額と社号提灯🏮
⬇️⬇️⬇️
お賽銭箱。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
拝殿は開け放たれ、奥に御簾が下がっていて、その向こうにご本殿が少しだけ見えます。
御祭神
前玉比売神
さきたまひめのみこと
前玉彦命 さきたまひこのみこと
ご利益
縁結び・恋愛成就・夫婦円満
忘れていた遠い昔の何かを思い出しそうになるような…そんな感覚に襲われます
「延喜式」にも載る古社で、その昔は「幸魂(さいわいのみたま)神社」とも呼ばれていました。
「前玉」の【前】=幸。【玉】=魂。
幸魂(さいわいのみたま・さきみたま)は、「人に幸福を与える働き、収穫をもたらす働き」を表す言葉。
唱え言葉
幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ)
にも繋がります
⬇️⬇️⬇️
ご本殿は、覆殿で保護されていました。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
覆殿の左側と右側では窓の位置が違いますね
浅間塚古墳。
直径約50m、周囲92m、高さ8.7mです。
⬇️⬇️⬇️
石段を上から
急勾配がおわかりいただけると思います。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
石段下の両脇にあるのは、
万葉灯籠(行田市指定文化財)です。
元禄10年(1697年)10月15日、当神社の氏子たちが所願成就を記念して奉納した灯籠です。高さ180cm。
この地を詠んだ万葉集の歌、「小崎沼」(左側)と「埼玉の津」(右側)が、竿の部分に刻まれています。
⬇️⬇️⬇️
石段を下りて来て右手・参道の突き当たりには絵馬堂。
よく見る絵馬掛けではなく、建物の形になっていて入口には注連縄が掛けられ、中に絵馬が掛けられていました。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
下から見上げた拝殿とご本殿。
参道を引き返すと、反対側の突き当たりに社殿が見えます。
三の鳥居をくぐって石段を上った右手、という位置関係です。
⬇️⬇️⬇️
浅間神社です
⬇️⬇️⬇️
御祭神
木花咲耶姫命
このはなさくやひめのみこと
安産・子育ての神様
近世の初め、忍城(おしじょう)内にあった浅間神社を勧請し、古墳上にある社を「上の宮」、中腹にある社を「下の宮」と呼んで、『浅間さま』の名で親しまれるようになりました。
一説には、富士浅間信仰が盛んになってから、富士の行者が己の命の終わるとき当所にのみ雪を降らすと言い残し、その予言通り6月1日亡くなった日に雪が降り、これを奇異とした忍城主下総守氏長が、この地に浅間神社を祀ったとも言われています。
社殿には
桜の彫刻
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
扁額の代わりに美しい板画が掛けられていました。
桜色の幟と、桜の花びらがあしらわれた社号提灯🏮
⬇️⬇️⬇️
長年連れ添った夫婦や、ラブラブな恋人同士の間でも、ちょっとした疑念や勘違いから心がすれ違ってしまうことがありますよね
そんな時「浅間神社」へ訪れて木花咲耶姫さまにお参りすると、不思議とよい方向へ向かう
と、最近特にそう思います。
先ほどは後回しにしましたが、
長い石段へ向かう参道の右手に、小さいお社が2つ。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
右側が、恵比寿大黒天社。
商売繁盛の神様
だいぶ新しいお社ですね。
左側が、天神社。
学問の神様
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
中には菅原道真公の像がいらっしゃいました。
参道の両側には、百度石や、富士講の石碑などがありました。
⬇️⬇️⬇️
下の境内に戻って来ると、石段に向かって右手にも深い社叢が広がっていて、手水舎と三
鳥居の間に参道がありました。
奥にスポットライトを浴びているかのようなお社が見えます。
⬇️⬇️⬇️
引き寄せられるように参道を進むと、
森の中はとても澄んだ空気で、過去にタイムスリップしそうな雰囲気
⬇️⬇️⬇️
明治神社です。
静かですが強いパワーを感じるお社
⬇️⬇️⬇️
明治時代に、埼玉地区の神社を合祀した神社で、詳細はわかりませんが、合祀神は16柱にも及ぶとのことです。
参道途中にはこんな味のある石灯籠もありました。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
この石灯籠を挟むようにもう1本、森のもっと奥深くに向かって参道が伸びています。
日露戦役紀念碑や
忠魂碑などの石碑が立ち並ぶこのエリアは、いちだんと空気がひんやりと涼しく感じられました
⬇️⬇️⬇️
⬇️⬇️⬇️
境内に戻り、三の鳥居の左手奥には、
龍泉池がありました
⬇️⬇️⬇️
厳島神社のように、池に橋が架かり中島にお社がありましたが詳細は不明。
⬇️⬇️⬇️
いただいた由緒書にも、この龍泉池のことは一切載っていませんでした
その手前に舞台のようなもの。
これも何だかわかりません。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
二の鳥居をくぐった左手に
神楽殿。
二の鳥居をくぐった右手、手水舎の手前に社務所があります。
授与所のカウンターの上に、ダンボール箱に入った猫ちゃんがいました
ずっといたのに、写真を撮ろうと思ったら逃げてしまいました
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
この子はまた別の猫ちゃん
さくらです
美人さん
4月20日~4月23日の4日間限定の御朱印がありました。 書き置き対応のみで、日付は4月22日に統一とのこと。
毎月22日(ニャンニャン)に限定御朱印があり、4月22日は猫シリーズ(ミント)でした。
⬇️⬇️⬇️
会えなかったけれど、ミントちゃんは恥ずかしがり屋の黒猫だそうです。
猫ちゃんは全部で4匹
写真のさくら(三毛)と、授与所のダンボール箱で寝ているきなこ(キジトラ)、ミント(黒猫)、ガガ(白&茶)です。
全部集めたくなる人の気持ちもわからなくはないですね
ちなみに、今年2月22日(ニャンニャンニャン)の限定御朱印は4匹全部のスタンプが押されたものだったそうで、御朱印は3~4時間待ち。
警察沙汰になったというから驚きです
通常の御朱印もいただきました。
もちろん浅間神社のも
⬇️⬇️⬇️
古墳上に建つ拝殿前の、何とも言えない澄んだ涼しい空気は、写真ではきっと伝わらないのが残念です
必ずまた訪れたい神社です
おまけ。
すぐ近くの「さきたま
墳公園」には、全部で9つの古墳があります。
遠足の小学生の集団とすれ違いました
その中の1つ、二子山古墳。
造られた時期は6世紀の初め頃とのことで、武蔵国で最大の古墳だそうです。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
行田市駅まで向かう途中の歩道にも、
古墳の柄がありました。
小学生の頃に習った時から、「前方後円墳」っていつもこの向き、丸いほうが上ですよね。
「前方」「後円」なんだから、本当は四角いほうが前なのに
この日の行田市神社巡りは、とても気持ちが良く充実した1日になりました
次回以降もまだしばらく続きます