救急車のセール通販情報、雑誌から出てきたようなトレンドガールになれるかもしれません

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救急車はもう要らない

まだ明るい記事は書けないのに

とりあえずメッセージも返せてないからこちらでお返事とさせてください。

あの日
大型ショッピングモールにいたら、友人から電話がきてて。
息子と走りまわしてたから、後で気付いて電話して。

「どしたぁ?」
「…あ、見てないな。今すぐネットニュース見て。一番上にあるはずやから。」

って言われて
まさか結婚か…?と思いながら確認…。


大きな見出しに心臓止まりかけ、
ガタガタ震えて読んで、
そのまま公衆の面前で泣き崩れました。(不審者。笑)


よく見てみると「生きてる?」「大丈夫?」と私が嵐好きなことを理解してる友人達からLINEが届いてて。
ああ、これ夢じゃないんだなぁと漠然と思いました。

Mr.サンデーの会見は何とか見ました。
その優しい空気に、環境に、4人の気持ちに…大泣きして。

その後母に私の気持ちを全否定され口論になってしまい(笑)
過呼吸起こして全身痺れて動けなくなり救急車呼ばれかけて大惨事でした。(必死で止めた)


月曜、起きても笑えるくらい涙が出ました。
WSは前日に録画したけど、まずそもそもテレビをつけられませんでした。
月曜何して過ごしてたのかなぁ。
おばあちゃんを病院に連れてったりはしてたけど
あんま覚えてないや。

火曜、やっぱりテレビが怖くてつけられなくて
息子と外でずっと遊んでました。
すごい寒かったです。←自業自得

ああ、私って嵐を取りあげられると何も出来ないんだなって。
実感しますね。
こういう時、余計に。


前を向けた方。
ここから先は読まないでください。
暗くさせてしまうと思います。

落ちまくってる方。
形は違うかもしれないけど、同志です。
私の考えを書きますね。

暗いですよ。
明るく前向きになれてる方は読まないで下さいね。




✎︎____________




zeroは観られましたか?
私は…ネットで観ました。
復活はある、と。
翔くんが力強く言ってくれましたね。

それでネットが沸きに沸いて。
「絶対復活する!」
「待ってる!」
「翔くんが言ってるもん、絶対だよ!」
「信じてていいんだ!ありがとう!」
…って。

だけど
私、ダメなんです。
もう本当にダメなんです。
そのコメント見てるの、辛いんです。

大野さんの重荷にならないかな、って
大野さんが戻らなくちゃって思っちゃうんじゃないかな
それが枷になってしまうんじゃないかな……

そんなことが頭をずーっとグルグルしてて
皆が「復活あるぞー!」って前向きなの見てると、
すごくすごく苦しくなるんです。
だって大野さん、戻りたくなるかはその時にならないとわからないって言ってるのに…。
大野さん、好きなことして、「夏休み」満喫してさ
(夏休みって表現も何か苦手…期限を意識してしまいそうで…)
もうやりたいこといっぱいやって
試したいことめちゃくちゃ試して
その結果、

「ああ、やっぱ俺嵐好きだなぁ」って
「好きなこと全部やったら、4人に会いたくなった」って

そう思って戻ってきてくれるならそれが一番幸せなんです。

だけど
「まだ?智どんだけ休むんだよ」とか
「他の人の気持ちになれよ」とか、
時間が経つにつれ、
すごくすごく嫌なこと言う人出てくると思うんです。
特にあんまよくわかってない外野。
にわかとか、話題にしたいだけの輩達。

あと…本当のファンで、すごくすごく嵐が好きで、
「頼む、そろそろ戻ってきて!」って純粋に言っちゃう人もいると思うんだ…。
その気持ちは悲しいくらいわかる

でも、
「戻らなきゃ…」
って思ってしまったら、余計やりたくなくなる
そんなのでまた自分の気持ち押し込めて再始動、
もしくは「もうやだこんな世界」ってなったら、解散。
大野さんの、5人の宝物が呆気なく壊れる。
そんなの絶対嫌だ。


だから、私は期待しません。
戻ってきて、とか、待ってるよ、も言いません。
信じてるからね、なんて以ての外で口にしません。

ただ、声を大にして言います。
「信じてる!」な方を批判する気は毛頭ありません。
むしろ素敵だと思います。
ポジティブに受け止められることの方が絶対的に良いことです。
楽しみにして、待ってるって信じて、笑顔で応援出来る人の方が正しい。
私はずっと落ちてて、苦しいままで、泣いてばっかで、テレビすらつけられなくて、こんなの間違ってる。

ただ、私はそういう考え方しかできないんです。
いくら大野さんが体キープしとかなきゃねって言ってくれても、巻き起こしちゃいますかって言ってくれても、大野さんが『本当の自由』を手に入れたらもう戻ってきてくれないんじゃないかなって思ってしまう。
だって、ずっと『普通』でいたかった人だから(;_;)
勿論、帰ってきてくれたら大きな声で泣きながら「おかえり、ありがとう」って言うと思う。
結果、待ってるんだと思う。
だけど、こんな言い方誤解されてしまうかもしれないけど、
私は大野さんが本当にやりたい道を選んで欲しいです。
例えそれが…数年後、解散という形だったとしても。
現段階で受け入れられないくらい泣いて過ごしてるから、そんなことになったら命の危険があるけど(笑えない)

それでも大野さんの人生。
1人の人生を4人が、いやその後ろの大勢のファン含めたって、無理矢理縛っちゃいけないんだ。

だから、大野さんにとって
心から笑える日がたくさんありますように
一番幸せな道を選べますように
ファンの声に負けて中途半端になりませんように
自分の思う「自由」を心から満喫出来ますように


大野さんを全力でフォローして守ってくれる4人が、言葉にならないほど好きです。
5人の空気感、関係性、温かい眼差し、
彼らが私の全てと言っても過言ではないくらいに生活の一部にがっつり組み込まれていました。(今は息子もいるから、全てだなんて言えなくなっちゃったけど、独身時代は本当に『全て』って言えるし周りにそう思われてたと自負してる)
大野さん担当だけど
4人がいないと意味ないし、4人が同じくらいに大好きです。

だけど、ごめんなさい。
今回は大野さんの気持ちを最優先で応援します。

他担さんからしたら嫌な印象受けてる人もいるかもしれない
だけど違うんです

あの何も言わない大野さんが
何度も本気で辞めようかと悩んでたけど言い出せないまま過ごしてきた大野さんが
どうしても溜め込んでおけなかった願いです。
4人が優しいから、言えたんだと思います。
だからどうか、誰も大野さんを責めないでください。
ここにはいないと思うけど…どうか、お願いします…。
運命共同体

4人は大野さんの気持ちを理解し、汲み取ってくれた
ありがとう
本当にありがとう
しょさん、
大野さんに事前に電話して全力フォローを約束してくれてありがとう。
無責任発言の時に一番にマイク上げて威嚇してくれてありがとう。

にの、
笑いを混じえながらも…「悪者に見えてるのだとしたら俺らの力不足」って言葉、本当に救われました。
前向き過ぎるのも辛いだろうから、って、ほんと
れで…心遣いありがとう。

あいばさん、
ひっくり返ったとこ想像してそこ笑っちゃったんだ。ありがとう。
多分あなたが一番泣いたんだと思います。いつも笑顔で和ませてくれる優しいあなたが大好きです。

まつじゅん、
ちょいちょい優しく大野さん見てくれててありがとう。
喧嘩はなかったと即断言してくれてありがとう。1人驚かず受け入れ態勢を作ってくれてたであろう最初の場もありがとう。
おおのさん、




やっぱ、まだ、書けない

だいすき、以外、
なんも、うかばない

ごめん、ごめんね
現実を受け入れられなくてごめんなさい

本当はもっともっと他のブロガーさんみたいにフォロワーさんを励ますようなこと書きたかったの
でも出来ないの
ずっと泣いてる自分が情けないし悔しいし不甲斐ない

皆前向いてるのに
私だけ取り残されてる感覚で
余計に苦しくって
そんな時に、
jさんやiちゃんや和さんに泣いてていいんだよって言ってもらって
咀嚼に時間かかる人もいるんだよねって思えて

そっか、自分だけじゃないんだって

そしたら、前向けなくて苦しい思いしてる人に同じだよって伝えられるなら伝えたいなって思って
書き始めたけど、やっぱり上手くまとまらなくて


こんなぐちゃぐちゃな気持ちで記事を上げるのはやめようって、何度も消したんだけど
どうしたってこの気持ちから動かなくて立ち止まってて
大好きなブロガーさんが乗り越えてお話書いたりしてるのに、全然読めなくて
何も出来なくて
だけど、やっぱ投稿したら落ち着くかもしれないし
心配してくださってる方の為にもと思って、アップします。

泣いて過ごしてる方
泣いてていいんですって。
大丈夫なんだって。
嵐だってものすごい期間かかったから、
私達だって呑み込めなくてもいいんだって。
苦しくってお腹の中真っ黒な塊があってずっととれない感じだけど、それは少しずつ溶かしていけばいい。
多分、嵐が溶かしてくれる。
優しくて温かい嵐は、まだ2年も見ることが出来る。
幸せなことですね。
本当に、、感謝の気持ちでいっぱい。
だけど悲しいものは悲しいし、咀嚼できないものはできない。
それは仕方ないって1回受け止めます。

2年間。
嵐のくれた『誠意』の期間。
たくさん泣いて、たくさん嵐見て過ごしましょう。
私も頑張って立ち直る。



不快な思いにさせてしまったらごめんなさい
折角明るい気持ちになってるのに暗くさせてしまったらごめんなさい
だけど、とにかく、私は待ちません。
2年かけてゆっくり覚悟して、受け入れます。
苦しいし辛いし悲しいけど、大好きな嵐を脳裏に焼き付けて
休止期間も何とか普通に生活出来るように
最悪、大野さんが「やっぱ俺、もうこの世界やだ」ってなったとしても、「だろうね!」って笑えるくらいに強くなりたい
大好きな人の選択を笑顔で応援出来る人になりたい

…絶対泣くけど。
そんなん、無理だろうけど。
だけど気持ちだけは一丁前にそんな感じです。

こんな前向くの時間かかるファンでごめんなさい



大野智が好きです。
嵐が大好きです。

だけど

ううん、だから



私は、復活を期待しない。


大野さんの人生、何も気にせず、好きに生きて欲しいです。



…チキンなんでコメント閉じようかと思ったけど
ブログしてない方で吐き出したい方もいるだろうし
好きに使ってくださいね。
(私の為にコメントしなきゃ!とは思わないで下さいね!スルーで良いです!!でも本音を吐き出す場所がない方もいるかなって。。他のとこで出来てればいいんですけど!)

重複して言いますが、
「私は期待して待ちますよ!」
って方は沢山いると思うし、その方が絶対に
いと思います。
今回のことは私の考え方です。
「こいつ暗いし気が合わねー」と思った方はそっと…解除?読者やらアメンバーを解除って出来るのかわかりませんが、とにかく切って下さいね。
お察しの通り融通の利かないド級のネガティブ女ですので、フォローしててもろくなことないです。笑
お話は
もう少し待ってください
ここ消すのも考えたけど、話途中なのいっぱいあるし
頑張って精神立て直します
でももう少し泣かせて
もう少しだけ時間をください
そしたら多分、書けると思う
多分…
「僕に力を」の方は書いてあるやつあるんでなるべく早く出せればと思います。

長々失礼致しました。
そしてご心配ありがとうございました。

タカ

介護も医療も救急車も

照明絞り薄暗く感じる、昼間の喧騒を忘れる程閑散とした広いロビー。

大理石の床の其処に、コツコツと響くのは、疲れた私のハイヒールがたてる足音だけ。

靴裏が真紅の其れのつま先を目に、何故か、ふと笑みが漏れる。

ネットショッピングのバーゲンセールで買ったハイヒール。

肩にかかるバックも同じ。

ウィンドウショッピングを楽しんだのは、何時だったのかすら忘れてしまった。

唯一分かるのは、次に来る季節のことだけ・・・。

其れすらも、ビルにかかる大きな広告で知るのみ。

漸く手にした専門医資格。

遮二無二走って此処迄来た様な気がする。

此れからよ。

あんな激務の日々は、此れからは無いんだから。

自分の為により一層努力して、手技を磨きなさい。

鼓舞する自分を冷静に見つめる、もう一人の自分がいる。

そんな、もう一人が問いかける。

『ウンス。あんた。限界なんじゃないの?』

まさか。

けたたましくサイレン鳴らし来る救急車を無視する様に、私はエントランス前の車止めに控えていたタクシーのドアを開けると、乗り込み様、行先を告げた。

江南へと。

開業する迄は、大学病院の勤務医でと考えていた。

でも、外科の限界みたいなものを悟ってしまった気がする。

少ない退職金をあてに、購入を決めたのは、10坪余りの小さなオフィステル。

面接に向かった先での、院長からは、勤務に差し支えなければ続ければいいと、研究の許可まで約束してくれた。

窓際置いたデスクの上。

辞表と書いた封筒。

私は、それをバックに仕舞い込んだ。

明日には・・・出してしまおう。

昼なのか夜なのかすら分からぬ、煌々と電灯の光明るい長い通路を行く。

術着のポケットに手を入れた儘の私は、此処での最後のオペへと急いでいた。

第一助手を務めるラストオペ。

執刀医じゃなくてよかった。

術後の容体を気にすることなく、此処を去れる。

足に履く、クロックス。

此れは、捨ててしまえばいいわ。

手を洗浄しつつ、そんなことを思っていた・・・。

そんな時だった。

背後から声がした。

「君。病院を辞めるそうだね。」

誰?振り返ると、其処に博士がいた。
「はい。博士。」

流れる水に手をかざし、手指の洗浄を始める博士が、隣にいる私に顔すら向けることなく

「よければ。術後に、訳を聞かせてくれるか。」

此の時、私は何故か素直に頷いてしまっていた・・・。

病院には不似合いな、洒落たカフェテリア。

オペの後には甘い物を摂っていると云う博士に合わせ“ラテ”の入ったカップを手に、間に丸いテーブルを挟み、向いに座る博士と共に、院内での最後の時間を過ごしていた。

少し猫背な背の高い博士の、広い肩から伸びる長い腕。

濃碧の術着の半袖から見える、逞しく長い腕の先には、繊細な仕事を熟すには長すぎると感じる程の綺麗な指した大きな手。

其の手にカップを持ち、脚を組み座る姿は、まるで医療ドラマを観ているようだと感じた。

うちの教授たちとは、余りにもかけ離れた其の姿に暫し茫然と見惚れて・・・。

そんな私に気づいたのか、手にあるカップに口をつけることなく、博士が徐に「さて、話してくれるかい。」

マスク越しの声とは違う其れに、私は少し戸惑いつつも「はい。」と、応えてしまっていた。

それから、私は博士に包み隠す事無く、其の訳の全てを話していた・・・。

米国で有名なER専門の外科医だと云う博士。

私の勤める此処(大学病院)には、教授として、短期の招聘を受けて来韓した、韓系アメリカ人医師。

此の数か月の間、私は博士から“縫合術”を徹底的に教え込まれていた。

そして・・・博士は何故なのか、私には戦場でのトラウマ(外傷)についても、丁寧に教授してくれていたのだ。

「残念だね。いい外科医なのに・・。」

博士は、そう言ってくれた。

でも、外科医としての激務を熟していく間に、当時の私は、自分の中の何かが確実に壊れてゆく感覚に見舞われていた。
そして、其処までして働いて得た収入は、自分自身を到底満足させるものではなく。

寧ろ、自分の仕事に対する疑問を与えるだけでしかないものになっていたのだ。
諸々を犠牲に、我武者羅に頑張ってきた。

心身共に限界が来ていると感じてもいた。

此れを機に、方向を変えてみよう。

そう決心した。

送別会くらいは・・・。

そう言う同僚の誘いすらも断って・・・辞めてしまった。
博士とは、あれ以来、顔すらも合わせない儘、病院を去ってしまった。

2012年の春。
新しい環境や美容整形医の仕事にも慣れ、婚約を迫って来た患者(男)も、此れで来ないわねと、なった頃。

お花見のついでにと、立ち寄ったの汝矣島のレストランで一人の食事を楽しんでいた。

夜桜を楽しんだ後のカップルの多い店内。

其処で、偶然にも以前の同僚に出会ってしまう。

「あら。一人なの?」

隅のテーブルに一人いた私に、先に声をかけたのは元同僚のほうから。
彼女は外科オペ室専門のナース。

私より年上の彼女とは、インターンの頃からの付き合いで、不思議と私とは気があっていた。

「ええ。貴女は?」

「・・・同じよ。」

「じゃあ。一緒に食事する?」

こうして始まった彼女との食事。

同僚たちの其の後の事。

私が指導医を務めていたインターンの其の後。

また、外科の教授たちの事。

そして、私の後任の・・・医師の事等々。

大病院での「彼是」を話す彼女の話に、ワイングラスを手に、私は頷きながら耳を傾けていた。

「で、貴女の方は、どうなの?仕事は?新しい同僚とは上手くやっているの?」

食事の最後、大きなお皿に綺麗に盛り付けられたドルチェを前に、彼女が問いかけてきた。

「そうねぇ。自分の時間が持てるようになったわ。それに・・・」

此処で、私に或る思いが浮かんでしまう。

博士のことを。

そう。彼のことを彼女に訊ねてみようと・・・。

「ねぇ。・・・博士は?あの後・・・」

「帰国したわよ。それよりもねぇ。ウンス。あの博士って、アメリカ生まれじゃないらしいのよ。」

「じゃあ。養子に。海外に養子に出るって・・・別に珍しくない・・・」

「そうじゃないのよ。孤児だったんだって。」

「それも、彼の年齢からすると・・・別に
・・」

此の後、彼女の口から出た博士についての事柄は・・・

孤児だった彼が、アメリカの地に降り立ったのは、1980年代。

其れから、大学に入り、メディカルスクールに。

そして、医師になったのだと云う。

其の後、軍医となり、戦地にまで赴き、短期間で医師としての腕を磨き、また数多くの論文を発表して現在の地位を得たのだと。

彼女の話しを聞き、私には或る疑問が湧き起こる。

「なぜ、博士の身の上話しを其処まで覚えていたの?」

「え?」と、少し驚きを見せた彼女。

それはと、前置きの後、彼女が語ったのは

「・・・貴女と同じ氏姓だったからよ。貴女と同じ文化柳氏からの分派。それから・・・博士の名よ。名前は、何と!あの正祖イ・サン(李 祘)のお爺様、英祖と同じだったのよ!」

「じゃあ。博士は、ユ・クム(柳 昑)。そう・・・なのね。」

歴史は余り得意ではなかった。

どちらかと言えば、理系の私には無縁なものだと思っていた。

それでも、李王朝の王様の順番くらいは、知って、いいえ、覚えていた。

「ウンス。ユソンセンニム。面倒臭がらずに・・・たまには電話くらい・・ね。」

別れ際の彼女の言葉。

彼女とは、それっきり・・・なぜって?

だって・・・私は高麗の時代に連れ去られたんだもの・・・。

参加しています ポチっとお願いしますm(_ _”m)

「どうも毎日だるい」そんなあなたのための救急車

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靴裏が真紅の其れのつま先を目に、何故か、ふと笑みが漏れる。

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肩にかかるバックも同じ。

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唯一分かるのは、次に来る季節のことだけ・・・。

其れすらも、ビルにかかる大きな広告で知るのみ。

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遮二無二走って此処迄来た様な気がする。

此れからよ。

あんな激務の日々は、此れからは無いんだから。

自分の為により一層努力して、手技を磨きなさい。

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そんな、もう一人が問いかける。

『ウンス。あんた。限界なんじゃないの?』

まさか。

けたたましくサイレン鳴らし来る救急車を無視する様に、私はエントランス前の車止めに控えていたタクシーのドアを開けると、乗り込み様、行先を告げた。

江南へと。

開業する迄は、大学病院の勤務医でと考えていた。

でも、外科の限界みたいなものを悟ってしまった気がする。

少ない退職金をあてに、購入を決めたのは、10坪余りの小さなオフィステル。

面接に向かった先での、院長からは、勤務に差し支えなければ続ければいいと、研究の許可まで約束してくれた。

窓際置いたデスクの上。

辞表と書いた封筒。

私は、それをバックに仕舞い込んだ。

明日には・・・出してしまおう。

昼なのか夜なのかすら分からぬ、煌々と電灯の光明るい長い通路を行く。

術着のポケットに手を入れた儘の私は、此処での最後のオペへと急いでいた。

第一助手を務めるラストオペ。

執刀医じゃなくてよかった。

術後の容体を気にすることなく、此処を去れる。

足に履く、クロックス。

此れは、捨ててしまえばいいわ。

手を洗浄しつつ、そんなことを思っていた・・・。

そんな時だった。

背後から声がした。

「君。病院を辞めるそうだね。」

誰?振り返ると、其処に博士がいた。
「はい。博士。」

流れる水に手をかざし、手指の洗浄を始める博士が、隣にいる私に顔すら向けることなく

「よければ。術後に、訳を聞かせてくれるか。」

此の時、私は何故か素直に頷いてしまっていた・・・。

病院には不似合いな、洒落たカフェテリア。

オペの後には甘い物を摂っていると云う博士に合わせ“ラテ”の入ったカップを手に、間に丸いテーブルを挟み、向いに座る博士と共に、院内での最後の時間を過ごしていた。

少し猫背な背の高い博士の、広い肩から伸びる長い腕。

濃碧の術着の半袖から見える、逞しく長い腕の先には、繊細な仕事を熟すには長すぎると感じる程の綺麗な指した大きな手。

其の手にカップを持ち、脚を組み座る姿は、まるで医療ドラマを観ているようだと感じた。

うちの教授たちとは、余りにもかけ離れた其の姿に暫し茫然と見惚れて・・・。

そんな私に気づいたのか、手にあるカップに口をつけることなく、博士が徐に「さて、話してくれるかい。」

マスク越しの声とは違う其れに、私は少し戸惑いつつも「はい。」と、応えてしまっていた。

それから、私は博士に包み隠す事無く、其の訳の全てを話していた・・・。

米国で有名なER専門の外科医だと云う博士。

私の勤める此処(大学病院)には、教授として、短期の招聘を受けて来韓した、韓系アメリカ人医師。

此の数か月の間、私は博士から“縫合術”を徹底的に教え込まれていた。

そして・・・博士は何故なのか、私には戦場でのトラウマ(外傷)についても、丁寧に教授してくれていたのだ。

「残念だね。いい外科医なのに・・。」

博士は、そう言ってくれた。

でも、外科医としての激務を熟していく間に、当時の私は、自分の中の何かが確実に壊れてゆく感覚に見舞われていた。
そして、其処までして働いて得た収入は、自分自身を到底満足させるものではなく。

寧ろ、自分の仕事に対する疑問を与えるだけでしかないものになっていたのだ。
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心身共に限界が来ていると感じてもいた。

此れを機に、方向を変えてみよう。

そう決心した。

送別会くらいは・・・。

そう言う同僚の誘いすらも断って・・・辞めてしまった。
博士とは、あれ以来、顔すらも合わせない儘、病院を去ってしまった。

2012年の春。
新しい環境や美容整形医の仕事にも慣れ、婚約を迫って来た患者(男)も、此れで来ないわねと、なった頃。

お花見のついでにと、立ち寄ったの汝矣島のレストランで一人の食事を楽しんでいた。

夜桜を楽しんだ後のカップルの多い店内。

其処で、偶然にも以前の同僚に出会ってしまう。

「あら。一人なの?」

隅のテーブルに一人いた私に、先に声をかけたのは元同僚のほうから。
彼女は外科オペ室専門のナース。

私より年上の彼女とは、インターンの頃からの付き合いで、不思議と私とは気があっていた。

「ええ。貴女は?」

「・・・同じよ。」

「じゃあ。一緒に食事する?」

こうして始まった彼女との食事。

同僚たちの其の後の事。

私が指導医を務めていたインターンの其の後。

また、外科の教授たちの事。

そして、私の後任の・・・医師の事等々。

大病院での「彼是」を話す彼女の話に、ワイングラスを手に、私は頷きながら耳を傾けていた。

「で、貴女の方は、どうなの?仕事は?新しい同僚とは上手くやっているの?」

食事の最後、大きなお皿に綺麗に盛り付けられたドルチェを前に、彼女が問いかけてきた。

「そうねぇ。自分の時間が持てるようになったわ。それに・・・」

此処で、私に或る思いが浮かんでしまう。

博士のことを。

そう。彼のことを彼女に訊ねてみようと・・・。

「ねぇ。・・・博士は?あの後・・・」

「帰国したわよ。それよりもねぇ。ウンス。あの博士って、アメリカ生まれじゃないらしいのよ。」

「じゃあ。養子に。海外に養子に出るって・・・別に珍しくない・・・」

「そうじゃないのよ。孤児だったんだって。」

「それも、彼の年齢からすると・・・別に
・・」

此の後、彼女の口から出た博士についての事柄は・・・

孤児だった彼が、アメリカの地に降り立ったのは、1980年代。

其れから、大学に入り、メディカルスクールに。

そして、医師になったのだと云う。

其の後、軍医となり、戦地にまで赴き、短期間で医師としての腕を磨き、また数多くの論文を発表して現在の地位を得たのだと。

彼女の話しを聞き、私には或る疑問が湧き起こる。

「なぜ、博士の身の上話しを其処まで覚えていたの?」

「え?」と、少し驚きを見せた彼女。

それはと、前置きの後、彼女が語ったのは

「・・・貴女と同じ氏姓だったからよ。貴女と同じ文化柳氏からの分派。それから・・・博士の名よ。名前は、何と!あの正祖イ・サン(李 祘)のお爺様、英祖と同じだったのよ!」

「じゃあ。博士は、ユ・クム(柳 昑)。そう・・・なのね。」

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それでも、李王朝の王様の順番くらいは、知って、いいえ、覚えていた。

「ウンス。ユソンセンニム。面倒臭がらずに・・・たまには電話くらい・・ね。」

別れ際の彼女の言葉。

彼女とは、それっきり・・・なぜって?

だって・・・私は高麗の時代に連れ去られたんだもの・・・。

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救急車 関連ツイート

RT @ajisaiyoko: <経験値と直感>

事務所にいたら
0歳児の新米保育士が
血相変えて呼びに来て
7カ月男児が
ミルク嘔吐
顔色悪い
お腹膨れている
「いつもの笑顔が無くて苦しそう」
彼女の「いつもと違う」察知だった

嘔吐繰り返し
直ちに救急車と保護者連絡
「腸…

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そういや今日はよく救急車が通ってたわ
天候が不安定で体調不良者が増えてるのかな?
RT @gumhamham: 【インフルエンザ脳症】
幼児も高齢者も大人も、なります。
インフル脳症の治療が遅れると、30%が死亡、25%が寝たきりや重度知的障害などの後遺症を残します。
フローチャートはあくまでも例なので「この図だと救急車呼ばなくても大丈夫」と思わず、早目に受…

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