青森?凄いね。帰っていいよ。
青森を眺めるだけでもシアワセ♪
私の母方の阿部の祖について閃きを受けてちょうど1年となる今月、浅間神社に行ってきました。
昨日の土曜日は小雨も降り、山中湖の側道は視界が悪い状況でした。
浅間神社に着くと小雨も上がり、傘をささずに参拝することができました。
境内には七夕が近いこともあり、短冊が結ばれた笹が飾られていました。
天気が良くないせいか参拝者も少なく、のんびりと境内を歩いてまわりました。
私の感覚では、北口浅間神社は夕刻にそのパワーが強くなるような気がします。
拝殿の軒を見上げると、そこに彫られている彫刻は菊であることを今更ながら気づきました。
菊にまつわるエピソードには、阿倍貞任公と安倍清明の母が菊に見惚れていた為に狐の姿を隠すことを忘れて、正体がばれてしまったなどが思い浮かびます。
浅間神社の社紋は、木花開耶姫命からなる「桜」が用いられています。
そんなことを思いながら本殿の裏手を回り、各社にもお参りいたしました。
本殿の真裏には可愛い恵比寿様と大黒様がお祀りされています。
「お願いします!!」
そしていつものように「おみくじ」を引いて、気づきを頂きました。
前回の「おみくじ」は大吉で、天のみこえは、「いにしえの文の林をわけてこそ あらたなるよの道もしらるれ」でした。
この「おみくじ」を引いた時は、阿部の祖について急に関心を抱き、書籍などを買い込んでいた時期であったので少し驚きました。
そして今回の「おみくじ」は中吉で、天のみこえは「おのがじし つとめを終へし後にこそ 花の陰には たつべかりけれ」でした。
読んでみて、今自分が行っている「阿部の祖について調べていることを、務めとして最後までやりなさい」といわれているように受け取りました。
本当にここで「おみくじ」を引くと、いつも自分は神様からみられているように思います。
しかしながら、恋愛運は「相手には通じません」と・・・。(。>0<。)
そんなこんなで前回のブログに綴った春日大社について、新たに調べたことが少しつなっがて来たので書き表したいと思います。
春日大社の創祀は、奈良時代のはじめに千葉県の香取神宮と茨城県の鹿島神宮の神が奈良の都に勧請されたことにあるそうです。
そのため、春日大社もまた鹿を神の使い(神鹿(しんろく))として大切にお祀りされています。
その春日大社の総本山は、古くから神霊が宿る神奈備の山として崇められてきた霊山といわれ、花山、三笠山、香山(高山)、三輪山をまとめた総称だそうです。
そうです! その地は阿部の縁の地でもあるのです。
この一帯の阿部山には、古墳で有名なキトラ古墳がある場所でもあります。
因みに阿部山は、東北の阿部(阿倍、安倍)一族に縁のある北海道(阿倍比羅夫)や山口県(安倍宗任)にもその名を残しています。
(穂高神社にある阿倍比羅夫像)
そして阿倍仲麻呂にあっては、この地を想い「天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出しつきかも」の歌を読んでいます。
ここでもう一つ、日本の歴史は卑弥呼の邪馬台国からでなく、すでに東日本の関東にはオホーツク海から日本に渡り、青森県で移り住んでいた民族と、出雲の地から移り住んだ民族が争うことなく土着の先住者と共に平和な国をつくっていました。
神奈とは、「神様が居る」という意味で、神奈川県は「神様が居る処から流れ下る川」からなるところから地名は由来しています。
その川の水源地は秦の始皇帝の時代に集団で渡来した徐福が水銀などの鉱物を探したことから丹沢と名付けられ、その湧き出た川は神の川と呼ばれて神奈川県の中央を流れて相模湾(さがみわん)に注がれます。
この相模(さがみ)という名称は、「サの神(猿田彦)」から由来しており、「相模(さがみ)」の字が当てられ隠されているのです。
奈良県の神奈備山も、神奈川県の地名がその由来であり、古来東国にいた神々が奈良県に移住したことを裏付ける証となるものといえましょう。
神奈川県は文字通り神様が居る国であり、その国を護る大山(阿夫利)に続く街道沿いには道祖神の石碑の他に、大日如来の石碑があるのも他県には見られない光景といえます。
また、大山の近郊にある愛川町には、東北に多く観られる鹿(しし)踊りが伝統的に受け継がれていました。
この地域へ土着した徐福らの渡来人は、土木・化学・医療・機織り・稲作などの知識を有した技術集団であったことも伝えられています。
実は、公の記録に表されていませんが、徐福らが日本に渡来する以前に上記の知識を有した技術者達は古代中国から戦乱を逃れてこの日本(東日本)に渡り住んでいました。
飛鳥・奈良時代の文化は、東日本に居た神と崇められた人々が四国を介して奈良に移り住んだことによって造営されたのです。
更に「奈」には「捧げる」という意味があり、「奈」を用いている都道府県名は神奈川県と奈良県に使われていることも無関係ではないことを示しています。
私の閃きから、そう思えてなりません。
話は変わって、毘沙門天と云われていた安倍貞任公ですが、その毘沙門天を崇拝していた戦国武将の上杉謙信公が決起した場所も春日山でした。
この1年で私の祖の阿部に縁のある神社や寺は、浅間神社、大日堂、諏訪大社、穂高神社、氷川神社、大山阿夫利神社、熊野神社、阿蘇神社、香取神社、鹿島神社、春日大社、阿倍文殊院、東大寺、湯殿山、出雲大社などが思いうかびます。
そして何故か、平将門公にも繋がるのです。
歴史において平安時代は権力者による階級制度が整い、古来より土着していた民衆たちは各地の豪族や国司の下で奴隷が如くに働かされていました。
昔から下層の民衆を使うに「生かさず、殺さず」というこ言葉があります。
阿弖流為や平将門公そして安倍貞任公も、奴隷が如く労働を強いらされる民衆の自由と権利を護る為に立ち上がった勇者であることを忘れてはいけないと私は思います。
武士(もののふ)とは、命懸けでその土地と人々を護るために戦う者たちの呼称なのです。
そして一所懸命という言葉は、こうした行為が由来となっているのです。
奈良から都が藤原京に移った時代から、税を吸い取る形で中央貴族社会が成立して、階級社会の小さな世界で権力の奪い合いをしていた最低な時代といえますが、文化芸術においては様々な国の文化芸術が融合して日本独自の美意識が成熟していった時代ともいえ、私にとっては平安時代は芸術的に最高な時代と思います。
時代背景を調べていく中で、甲冑の造形の素晴らしさに改めて魅せられて購入してしまいました。σ(^_^;)
1年前までは毎日の生活に追われ、過去の歴史について考える事もなかったのに、今では飛鳥や奈良時代も遠い昔の物語には思えなくなりました。
本当に不思議なことです。
帰り道、従姪らが経営しているお蕎麦屋さんで遅い昼食を頂きました。
手打ちのお蕎麦屋さんで、普通のお蕎麦とはちょっと違うのが特徴。
午後3時過ぎに行ったので、お客さんは若いカップルの一組だけでした。
それでもホール従業員が3人もおり、繁盛店であることを嬉しく思います。
お腹も空いていたので、ご飯も頂
てしまいました。
後で天そばだけにすればよかったと・・・。ヽ(;´ω`)ノ
心に物なき時は、心広く体豊かなり
心に我慢なき時は、敬愛失わず
心に欲なき時は、義理を行う
心に私なき時は、疑うことなし
心に驕りなき時は、人を敬う
心に誤りなき時は、人を畏(おそ)れず
心に邪見なき時は、人を育つる
心に貪りなき時は、人にへつらうことなし
心に怒りなき時は、言葉柔らかなり
心に堪忍ある時は、事を調(ととの)う
心に曇りなき時は、心静かなり
心に勇ある時は、悔やむことなし
心賎しからざる時は、願い好まず
心に孝行ある時は、忠節厚し
心に自慢なき時は、人の善を知り
心に迷いなきときは、人を咎めず
上杉謙信
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