救急車について語るときに僕の語ること
救急車の人気はいつまで続くのか、セットで買ってお得な店舗が勢ぞろいしてます
照明絞り薄暗く感じる、昼間の喧騒を忘れる程閑散とした広いロビー。
大理石の床の其処に、コツコツと響くのは、疲れた私のハイヒールがたてる足音だけ。
靴裏が真紅の其れのつま先を目に、何故か、ふと笑みが漏れる。
ネットショッピングのバーゲンセールで買ったハイヒール。
肩にかかるバックも同じ。
ウィンドウショッピングを楽しんだのは、何時だったのかすら忘れてしまった。
唯一分かるのは、次に来る季節のことだけ・・・。
其れすらも、ビルにかかる大きな広告で知るのみ。
漸く手にした専門医資格。
遮二無二走って此処迄来た様な気がする。
此れからよ。
あんな激務の日々は、此れからは無いんだから。
自分の為により一層努力して、手技を磨きなさい。
鼓舞する自分を冷静に見つめる、もう一人の自分がいる。
そんな、もう一人が問いかける。
『ウンス。あんた。限界なんじゃないの?』
まさか。
けたたましくサイレン鳴らし来る救急車を無視する様に、私はエントランス前の車止めに控えていたタクシーのドアを開けると、乗り込み様、行先を告げた。
江南へと。
開業する迄は、大学病院の勤務医でと考えていた。
でも、外科の限界みたいなものを悟ってしまった気がする。
少ない退職金をあてに、購入を決めたのは、10坪余りの小さなオフィステル。
面接に向かった先での、院長からは、勤務に差し支えなければ続ければいいと、研究の許可まで約束してくれた。
窓際置いたデスクの上。
辞表と書いた封筒。
私は、それをバックに仕舞い込んだ。
明日には・・・出してしまおう。
昼なのか夜なのかすら分からぬ、煌々と電灯の光明るい長い通路を行く。
術着のポケットに手を入れた儘の私は、此処での最後のオペへと急いでいた。
第一助手を務めるラストオペ。
執刀医じゃなくてよかった。
術後の容体を気にすることなく、此処を去れる。
足に履く、クロックス。
此れは、捨ててしまえばいいわ。
手を洗浄しつつ、そんなことを思っていた・・・。
そんな時だった。
背後から声がした。
「君。病院を辞めるそうだね。」
誰?振り返ると、其処に博士がいた。
「はい。博士。」
流れる水に手をかざし、手指の洗浄を始める博士が、隣にいる私に顔すら向けることなく
「よければ。術後に、訳を聞かせてくれるか。」
此の時、私は何故か素直に頷いてしまっていた・・・。
病院には不似合いな、洒落たカフェテリア。
オペの後には甘い物を摂っていると云う博士に合わせ“ラテ”の入ったカップを手に、間に丸いテーブルを挟み、向いに座る博士と共に、院内での最後の時間を過ごしていた。
少し猫背な背の高い博士の、広い肩から伸びる長い腕。
濃碧の術着の半袖から見える、逞しく長い腕の先には、繊細な仕事を熟すには長すぎると感じる程の綺麗な指した大きな手。
其の手にカップを持ち、脚を組み座る姿は、まるで医療ドラマを観ているようだと感じた。
うちの教授たちとは、余りにもかけ離れた其の姿に暫し茫然と見惚れて・・・。
そんな私に気づいたのか、手にあるカップに口をつけることなく、博士が徐に「さて、話してくれるかい。」
マスク越しの声とは違う其れに、私は少し戸惑いつつも「はい。」と、応えてしまっていた。
それから、私は博士に包み隠す事無く、其の訳の全てを話していた・・・。
米国で有名なER専門の外科医だと云う博士。
私の勤める此処(大学病院)には、教授として、短期の招聘を受けて来韓した、韓系アメリカ人医師。
此の数か月の間、私は博士から“縫合術”を徹底的に教え込まれていた。
そして・・・博士は何故なのか、私には戦場でのトラウマ(外傷)についても、丁寧に教授してくれていたのだ。
「残念だね。いい外科医なのに・・。」
博士は、そう言ってくれた。
でも、外科医としての激務を熟していく間に、当時の私は、自分の中の何かが確実に壊れてゆく感覚に見舞われていた。
そして、其処までして働いて得た収入は、自分自身を到底満足させるものではなく。
寧ろ、自分の仕事に対する疑問を与えるだけでしかないものになっていたのだ。
諸々を犠牲に、我武者羅に頑張ってきた。
心身共に限界が来ていると感じてもいた。
此れを機に、方向を変えてみよう。
そう決心した。
送別会くらいは・・・。
そう言う同僚の誘いすらも断って・・・辞めてしまった。
博士とは、あれ以来、顔すらも合わせない儘、病院を去ってしまった。
2012年の春。
新しい環境や美容整形医の仕事にも慣れ、婚約を迫って来た患者(男)も、此れで来ないわねと、なった頃。
お花見のついでにと、立ち寄ったの汝矣島のレストランで一人の食事を楽しんでいた。
夜桜を楽しんだ後のカップルの多い店内。
其処で、偶然にも以前の同僚に出会ってしまう。
「あら。一人なの?」
隅のテーブルに一人いた私に、先に声をかけたのは元同僚のほうから。
彼女は外科オペ室専門のナース。
私より年上の彼女とは、インターンの頃からの付き合いで、不思議と私とは気があっていた。
「ええ。貴女は?」
「・・・同じよ。」
「じゃあ。一緒に食事する?」
こうして始まった彼女との食事。
同僚たちの其の後の事。
私が指導医を務めていたインターンの其の後。
また、外科の教授たちの事。
そして、私の後任の・・・医師の事等々。
大病院での「彼是」を話す彼女の話に、ワイングラスを手に、私は頷きながら耳を傾けていた。
「で、貴女の方は、どうなの?仕事は?新しい同僚とは上手くやっているの?」
食事の最後、大きなお皿に綺麗に盛り付けられたドルチェを前に、彼女が問いかけてきた。
「そうねぇ。自分の時間が持てるようになったわ。それに・・・」
此処で、私に或る思いが浮かんでしまう。
博士のことを。
そう。彼のことを彼女に訊ねてみようと・・・。
「ねぇ。・・・博士は?あの後・・・」
「帰国したわよ。それよりもねぇ。ウンス。あの博士って、アメリカ生まれじゃないらしいのよ。」
「じゃあ。養子に。海外に養子に出るって・・・別に珍しくない・・・」
「そうじゃないのよ。孤児だったんだって。」
「それも、彼の年齢からすると・・・別に
・・」
此の後、彼女の口から出た博士についての事柄は・・・
孤児だった彼が、アメリカの地に降り立ったのは、1980年代。
其れから、大学に入り、メディカルスクールに。
そして、医師になったのだと云う。
其の後、軍医となり、戦地にまで赴き、短期間で医師としての腕を磨き、また数多くの論文を発表して現在の地位を得たのだと。
彼女の話しを聞き、私には或る疑問が湧き起こる。
「なぜ、博士の身の上話しを其処まで覚えていたの?」
「え?」と、少し驚きを見せた彼女。
それはと、前置きの後、彼女が語ったのは
「・・・貴女と同じ氏姓だったからよ。貴女と同じ文化柳氏からの分派。それから・・・博士の名よ。名前は、何と!あの正祖イ・サン(李 祘)のお爺様、英祖と同じだったのよ!」
「じゃあ。博士は、ユ・クム(柳 昑)。そう・・・なのね。」
歴史は余り得意ではなかった。
どちらかと言えば、理系の私には無縁なものだと思っていた。
それでも、李王朝の王様の順番くらいは、知って、いいえ、覚えていた。
「ウンス。ユソンセンニム。面倒臭がらずに・・・たまには電話くらい・・ね。」
別れ際の彼女の言葉。
彼女とは、それっきり・・・なぜって?
だって・・・私は高麗の時代に連れ去られたんだもの・・・。
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けいれん本当に何回やっても怖いですよね。。。私もこの前また救急車に乗りましたがやっぱり慌ててしまいました😣
お大事になさってください💦
幼児も高齢者も大人も、なります。
インフル脳症の治療が遅れると、30%が死亡、25%が寝たきりや重度知的障害などの後遺症を残します。
フローチャートはあくまでも例なので「この図だと救急車呼ばなくても大丈夫」と思わず、早目に受…
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