歩道手帳は高橋
台湾人が暇な時に行くところ
それは…
海老釣り
以前台湾に語学留学に来ていた時に
台風が上陸して授業が休講になり暇していたら
友人に誘われて行ったのが初体験でしたが
なかなか楽しいのです、これ
ローカル色満載なこの感じ!
生け簀でひたすら海老を釣って
その場で焼いて食べられます
昨日は友人ファミリーと久々に行ってきました
4歳児つーたんにはまだ
餌を釣針に付けたりは難しいのですが
やると言い張って針が刺さりそうになって
なかなか危険
しかも大好きなお兄ちゃんの横でやると言って
近付いて行って釣り糸が絡まりまくったり
リリィはちょっと目を離そうものなら
どんどん歩いていって
いつか生け簀に落ちるんじゃないか⁈という勢い
あれ⁈
釣りって静かに待つのが醍醐味みたいな
ものじゃなかったっけ…
昨日は男子5人+リリィだったのですが
しょっ中誰かと誰かが喧嘩していたり
釣れない!と騒いでいたり
そのうち生け簀の周りをストライダーで
ぐるぐる追いかけっこし始めたり…
君たちはなぜそんなに落ち着かないー
もうあっぱれなほどうるさい!笑笑
でも小学生のお兄ちゃんはさすが
リーダーシップでちびっ子達をまとめてくれます
取れた海老は洗って串を刺して塩を振って
しっかり赤くなるまで焼けたらみんなで頂きます
つーたんは海老が嫌いで
普段はあまり食べないのですが
昨日は自分で釣ったからと沢山食べてました
この後みんなで公園へ移動したのですが
これまたハラハラもので
台湾は全くもって歩行者優先では無いので
青信号で歩行者が横断歩道を渡っていても
平気で左折してくる車やバイクがいたり
本当に気を付けないといけないのですが
いちいちダッシュするちびっ子達
恐怖の十数分でした
でも見ていると
どの男の子も小学校一年生くらいから
ぐっと落ち着きだすので
その辺までが正念場なのかなと思っております…
例のつーたんの宝塚熱は依然として続いていて
良い感じに色々と観すすめています!
最初は
男の子だし殺陣のシーンとかに入れ込むのかな⁈
と思っていたのですが
改めて感じたのは
男の子でも子供でも
感動するシーンは大人と全く一緒!という事です
もちろんまだストーリーが理解出来なくて
その場面の良さが分からない等はありますが
私からみて
この場面の〇〇さんはいつもにも増して
カッコ良くみえるな〜♪
とか
この一連の流れと音楽のマッチ具合が最高!
とか
私のお気に入りシーンとつーたんが真剣に観て
「カッコいい!」という場面は
ほぼ一致しています
普段は私の言う事を全然聞いてくれなくて
わざとか⁈と腹が立ってしまう事も多い
我が息子ですが
正しいマントの持ち方、翻し方とか
芸事(…というのだろうか⁈)に関しては
凄く素直に聞いてくれて
熱心に練習している様子を見ると
まぁ何かに活かせるわけでもありませんが
なんとも嬉しい母なのでした
これからの歩道を、デザインする。
4月23日(火)、訳あって急きょ行田市の神社巡りへ出かけました
行田と言えば、ドラマ『陸王』の舞台となった足袋の街。
私の住む埼玉県ではありますが、だいぶ群馬県寄りなので、行田市に来るのはこれが初です
一社めは、
①JR高崎線・行田駅より
②秩父鉄道・行田市駅より
【行田市市内循環バス観光拠点循環コース】「富士山」下車徒歩3分、「埼玉古墳公園前」下車徒歩5分、
②の秩父鉄道・行田市駅からは徒歩でも25分くらいの、
前玉神社です
一の鳥居と社号碑。
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社号碑には「延喜式内」の文字。
一の鳥居は、延宝4年(1676年)、忍城主阿部正能家臣と忍領氏子たちによって建立されました。
行田市指定文化財です
一の鳥居をくぐり参道に入ります。
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だいぶ古そうな狛犬さん
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二の鳥居の手前には、神橋が架かっています。
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二の鳥居。
社務所の前を通過し、右手に手水舎
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水盤の文字は…読めません
三文字で、いちばん左は…「玉」のようにも見えますが…
どなたか、解読お願いします
柱の上部には迫力のある龍の彫刻
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手水を使ったあとまっすぐ進むと、
三の鳥居。
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三の鳥居をくぐったら石段を上ります。
石段を上ると山に突き当たり、左へ曲がります。途中境内社があるのですが、紹介はのちほど
そのまま進むと、右手に急な石段があります。この上が社殿です。
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かなり急勾配の石段
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拝殿です
細かな彫刻が施された、歴史を感じる佇まいです。
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「前玉神社」は、北武蔵国の地元豪族が眠る「さきたま古墳群」に隣接する神社で、「浅間塚」と呼ばれる古墳の上に鎮座しています。
「前玉神社」が最初に祀られた時代については、古墳時代(400年代後半~500年代前半)ではないかと考えられていて、社殿は古墳群に向かって祈願するように建立されています。
神亀3年(726年)の正倉院文書戸籍帳には「武蔵国前玉郡」の表記が見られ、前玉郡の中心であった「前玉神社」の【前玉】から【埼玉】へと、700年代半ばに漢字の変化があったことから、埼玉県名の発祥となった神社であると言われています。
神額と社号提灯🏮
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お賽銭箱。
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拝殿は開け放たれ、奥に御簾が下がっていて、その向こうにご本殿が少しだけ見えます。
涼やかな風が吹き抜けていました
御祭神
前玉比売神
さきたまひめのみこと
前玉彦命 さきたまひこのみこと
ご利益
縁結び・恋愛成就・夫婦円満
拝殿前は空気がひんやりと涼しく、時が止まったような別世界
忘れていた遠い昔の何かを思い出しそうになるような…そんな感覚に襲われます
「延喜式」にも載る古社で、その昔は「幸魂(さいわいのみたま)神社」とも呼ばれていました。
「前玉」の【前】=幸。【玉】=魂。
幸魂(さいわいのみたま・さきみたま)は、「人に幸福を与える働き、収穫をもたらす働き」を表す言葉。
唱え言葉
幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ)
にも繋がります
素木の拝殿の彫刻は、本当に素晴らしかったです
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ご本殿は、覆殿で保護されていました。
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覆殿の左側と右側では窓の位置が違いますね
浅間塚古墳。
直径約50m、周囲92m、高さ8.7mです。
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石段を上から
急勾配がおわかりいただけると思います。
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石段下の両脇にあるのは、
万葉灯籠(行田市指定文化財)です。
元禄10年(1697年)10月15日、当神社の氏子たちが所願成就を記念して奉納した灯籠です。高さ180cm。
この地を詠んだ万葉集の歌、「小崎沼」(左側)と「埼玉の津」(右側)が、竿の部分に刻まれています。
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石段を下りて来て右手・参道の突き当たりには絵馬堂。
よく見る絵馬掛けではなく、建物の形になっていて入口には注連縄が掛けられ、中に絵馬が掛けられていました。
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下から見上げた拝殿とご本殿。
参道を引き返すと、反対側の突き当たりに社殿が見えます。
三の鳥居をくぐって石段を上った右手、という位置関係です。
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浅間神社です
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御祭神
木花咲耶姫命
このはなさくやひめのみこと
安産・子育ての神様
近世の初め、忍城(おしじょう)内にあった浅間神社を勧請し、古墳上にある社を「上の宮」、中腹にある社を「下の宮」と呼んで、『浅間さま』の名で親しまれるようになりました。
一説には、富士浅間信仰が盛んになってから、富士の行者が己の命の終わるとき当所にのみ雪を降らすと言い残し、その予言通り6月1日亡くなった日に雪が降り、これを奇異とした忍城主下総守氏長が、この地に浅間神社を祀ったとも言われています。
社殿には桜の彫刻
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扁額の代わりに美しい板画が掛けられていました。
桜色の幟と、桜の花びらがあしらわれた社号提灯🏮
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長年連れ添った夫婦や、ラブラブな恋人同士の間でも、ちょっとした疑念や勘違いから心がすれ違ってしまうことがありますよね
そんな時「浅間神社」へ訪れて木花咲耶姫さまにお参りすると、不思議とよい方向へ向かうと、最近特にそう思います。
先ほどは後回しにしましたが、
長い石段へ向かう参道の右手に、小さいお社が2つ。
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右側が、恵比寿大黒天社。
商売繁盛の神様
だいぶ新しいお社ですね。
左側が、天神社。
学問の神様
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中には菅原道真公の像がいらっしゃいました。
参道の両側には、百度石や、富士講の石碑などがありました。
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下の境内に戻って来ると、石段に向かって右手にも深い社叢が広がっていて、手水舎と三
鳥居の間に参道がありました。
鳥居の間に参道がありました。
奥にスポットライトを浴びているかのようなお社が見えます。
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引き寄せられるように参道を進むと、
森の中はとても澄んだ空気で、過去にタイムスリップしそうな雰囲気
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明治神社です。
静かですが強いパワーを感じるお社
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明治時代に、埼玉地区の神社を合祀した神社で、詳細はわかりませんが、合祀神は16柱にも及ぶとのことです。
参道途中にはこんな味のある石灯籠もありました。
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この石灯籠を挟むようにもう1本、森のもっと奥深くに向かって参道が伸びています。
日露戦役紀念碑や忠魂碑などの石碑が立ち並ぶこのエリアは、いちだんと空気がひんやりと涼しく感じられました
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木漏れ日が清々しいです
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境内に戻り、三の鳥居の左手奥には、
龍泉池がありました
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厳島神社のように、池に橋が架かり中島にお社がありましたが詳細は不明。
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いただいた由緒書にも、この龍泉池のことは一切載っていませんでした
その手前に舞台のようなもの。
これも何だかわかりません。
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二の鳥居をくぐった左手に
神楽殿。
二の鳥居をくぐった右手、手水舎の手前に社務所があります。
授与所のカウンターの上に、ダンボール箱に入った猫ちゃんがいました
ずっといたのに、写真を撮ろうと思ったら逃げてしまいました
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この子はまた別の猫ちゃん
さくらです美人さん
4月20日~4月23日の4日間限定の御朱印がありました。 書き置き対応のみで、日付は4月22日に統一とのこと。
毎月22日(ニャンニャン)に限定御朱印があり、4月22日は猫シリーズ(ミント)でした。
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会えなかったけれど、ミントちゃんは恥ずかしがり屋の黒猫だそうです。
猫ちゃんは全部で4匹
写真のさくら(三毛)と、授与所のダンボール箱で寝ているきなこ(キジトラ)、ミント(黒猫)、ガガ(白&茶)です。
全部集めたくなる人の気持ちもわからなくはないですね
ちなみに、今年2月22日(ニャンニャンニャン)の限定御朱印は4匹全部のスタンプが押されたものだったそうで、御朱印は3~4時間待ち。
警察沙汰になったというから驚きです
通常の御朱印もいただきました。
もちろん浅間神社のも
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「前玉神社」は、荘厳で神聖な雰囲気の素晴らしい神社でした
古墳上に建つ拝殿前の、何とも言えない澄んだ涼しい空気は、写真ではきっと伝わらないのが残念です
「前玉神社」&「浅間神社」そして社叢からも、いっぱいパワーをいただきました
必ずまた訪れたい神社です
おまけ。
すぐ近くの「さきたま
墳公園」には、全部で9つの古墳があります。
墳公園」には、全部で9つの古墳があります。
遠足の小学生の集団とすれ違いました
その中の1つ、二子山古墳。
造られた時期は6世紀の初め頃とのことで、武蔵国で最大の古墳だそうです。
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行田市駅まで向かう途中の歩道にも、
古墳の柄がありました。
小学生の頃に習った時から、「前方後円墳」っていつもこの向き、丸いほうが上ですよね。
「前方」「後円」なんだから、本当は四角いほうが前なのに
この日の行田市神社巡りは、とても気持ちが良く充実した1日になりました
次回以降もまだしばらく続きます