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2019毎日ブログ更新30日目
今日はおっさんにとって、忘れてはいけない日です。
昨年も1月30日に同じタイトルのブログをアップしました。
2年前の今日
おっさんは、脳出血で緊急入院しました。
当時単身赴任中のおっさんは、血圧が高いのにもかかわらず、
薬飲んでるから大丈夫だろうと、かなり不摂生な生活をしていました。
前日の1月29日は日曜日
20キロのペーランをしてました。

この日の練習は、ブログにアップしてました。

そして明けて運命の1月30日
月曜日
朝から手の痺れを感じて、病院に行って頭のCTを撮ったら、小さな出血箇所があり、そのまま入院施設のある病院まで、救急車で搬送。
当時おっさんは、たまにおやじ弁当をたまに作っていて、この日も弁当持参で会社に行ってました。
病院に行く際は、事務所に置いたまま行っていたので、この日の弁当は食べられることはありませんでした。
部下に電話して処分を依頼しました。

興味のある方は、おっさんのブログテーマで、
「脳出血」「入院」で絞り込んでみて下さい。

今も
週2回の休肝は、ほぼ続いています。
今年もまた1月30日を教訓に、自身の生活を見直すきっかけにしてます。
☆☆☆
今朝は豆腐ではなかったですが、鉄とは言えない、さしずめ「低反発」くらいの意志で、時間をかけて起きたため?時間が30分くらいしかなく、
30分1本勝負ラン
2年前のこの時間は、割と絶望感の中にいますたf^_^;

第一次産業からの視点で読み解く救急車

照明絞り薄暗く感じる、昼間の喧騒を忘れる程閑散とした広いロビー。

大理石の床の其処に、コツコツと響くのは、疲れた私のハイヒールがたてる足音だけ。

靴裏が真紅の其れのつま先を目に、何故か、ふと笑みが漏れる。

ネットショッピングのバーゲンセールで買ったハイヒール。

肩にかかるバックも同じ。

ウィンドウショッピングを楽しんだのは、何時だったのかすら忘れてしまった。

唯一分かるのは、次に来る季節のことだけ・・・。

其れすらも、ビルにかかる大きな広告で知るのみ。

漸く手にした専門医資格。

遮二無二走って此処迄来た様な気がする。

此れからよ。

あんな激務の日々は、此れからは無いんだから。

自分の為により一層努力して、手技を磨きなさい。

鼓舞する自分を冷静に見つめる、もう一人の自分がいる。

そんな、もう一人が問いかける。

『ウンス。あんた。限界なんじゃないの?』

まさか。

けたたましくサイレン鳴らし来る救急車を無視する様に、私はエントランス前の車止めに控えていたタクシーのドアを開けると、乗り込み様、行先を告げた。

江南へと。

開業する迄は、大学病院の勤務医でと考えていた。

でも、外科の限界みたいなものを悟ってしまった気がする。

少ない退職金をあてに、購入を決めたのは、10坪余りの小さなオフィステル。

面接に向かった先での、院長からは、勤務に差し支えなければ続ければいいと、研究の許可まで約束してくれた。

窓際置いたデスクの上。

辞表と書いた封筒。

私は、それをバックに仕舞い込んだ。

明日には・・・出してしまおう。

昼なのか夜なのかすら分からぬ、煌々と電灯の光明るい長い通路を行く。

術着のポケットに手を入れた儘の私は、此処での最後のオペへと急いでいた。

第一助手を務めるラストオペ。

執刀医じゃなくてよかった。

術後の容体を気にすることなく、此処を去れる。

足に履く、クロックス。

此れは、捨ててしまえばいいわ。

手を洗浄しつつ、そんなことを思っていた・・・。

そんな時だった。

背後から声がした。

「君。病院を辞めるそうだね。」

誰?振り返ると、其処に博士がいた。
「はい。博士。」

流れる水に手をかざし、手指の洗浄を始める博士が、隣にいる私に顔すら向けることなく

「よければ。術後に、訳を聞かせてくれるか。」

此の時、私は何故か素直に頷いてしまっていた・・・。

病院には不似合いな、洒落たカフェテリア。

オペの後には甘い物を摂っていると云う博士に合わせ“ラテ”の入ったカップを手に、間に丸いテーブルを挟み、向いに座る博士と共に、院内での最後の時間を過ごしていた。

少し猫背な背の高い博士の、広い肩から伸びる長い腕。

濃碧の術着の半袖から見える、逞しく長い腕の先には、繊細な仕事を熟すには長すぎると感じる程の綺麗な指した大きな手。

其の手にカップを持ち、脚を組み座る姿は、まるで医療ドラマを観ているようだと感じた。

うちの教授たちとは、余りにもかけ離れた其の姿に暫し茫然と見惚れて・・・。

そんな私に気づいたのか、手にあるカップに口をつけることなく、博士が徐に「さて、話してくれるかい。」

マスク越しの声とは違う其れに、私は少し戸惑いつつも「はい。」と、応えてしまっていた。

それから、私は博士に包み隠す事無く、其の訳の全てを話していた・・・。

米国で有名なER専門の外科医だと云う博士。

私の勤める此処(大学病院)には、教授として、短期の招聘を受けて来韓した、韓系アメリカ人医師。

此の数か月の間、私は博士から“縫合術”を徹底的に教え込まれていた。

そして・・・博士は何故なのか、私には戦場でのトラウマ(外傷)についても、丁寧に教授してくれていたのだ。

「残念だね。いい外科医なのに・・。」

博士は、そう言ってくれた。

でも、外科医としての激務を熟していく間に、当時の私は、自分の中の何かが確実に壊れてゆく感覚に見舞われていた。
そして、其処までして働いて得た収入は、自分自身を到底満足させるものではなく。

寧ろ、自分の仕事に対する疑問を与えるだけでしかないものになっていたのだ。
諸々を犠牲に、我武者羅に頑張ってきた。

心身共に限界が来ていると感じてもいた。

此れを機に、方向を変えてみよう。

そう決心した。

送別会くらいは・・・。

そう言う同僚の誘いすらも断って・・・辞めてしまった。
博士とは、あれ以来、顔すらも合わせない儘、病院を去ってしまった。

2012年の春。
新しい環境や美容整形医の仕事にも慣れ、婚約を迫って来た患者(男)も、此れで来ないわねと、なった頃。

お花見のついでにと、立ち寄ったの汝矣島のレストランで一人の食事を楽しんでいた。

夜桜を楽しんだ後のカップルの多い店内。

其処で、偶然にも以前の同僚に出会ってしまう。

「あら。一人なの?」

隅のテーブルに一人いた私に、先に声をかけたのは元同僚のほうから。
彼女は外科オペ室専門のナース。

私より年上の彼女とは、インターンの頃からの付き合いで、不思議と私とは気があっていた。

「ええ。貴女は?」

「・・・同じよ。」

「じゃあ。一緒に食事する?」

こうして始まった彼女との食事。

同僚たちの其の後の事。

私が指導医を務めていたインターンの其の後。

また、外科の教授たちの事。

そして、私の後任の・・・医師の事等々。

大病院での「彼是」を話す彼女の話に、ワイングラスを手に、私は頷きながら耳を傾けていた。

「で、貴女の方は、どうなの?仕事は?新しい同僚とは上手くやっているの?」

食事の最後、大きなお皿に綺麗に盛り付けられたドルチェを前に、彼女が問いかけてきた。

「そうねぇ。自分の時間が持てるようになったわ。それに・・・」

此処で、私に或る思いが浮かんでしまう。

博士のことを。

そう。彼のことを彼女に訊ねてみようと・・・。

「ねぇ。・・・博士は?あの後・・・」

「帰国したわよ。それよりもねぇ。ウンス。あの博士って、アメリカ生まれじゃないらしいのよ。」

「じゃあ。養子に。海外に養子に出るって・・・別に珍しくない・・・」

「そうじゃないのよ。孤児だったんだって。」

「それも、彼の年齢からすると・・・別に
・・」

此の後、彼女の口から出た博士についての事柄は・・・

孤児だった彼が、アメリカの地に降り立ったのは、1980年代。

其れから、大学に入り、メディカルスクールに。

そして、医師になったのだと云う。

其の後、軍医となり、戦地にまで赴き、短期間で医師としての腕を磨き、また数多くの論文を発表して現在の地位を得たのだと。

彼女の話しを聞き、私には或る疑問が湧き起こる。

「なぜ、博士の身の上話しを其処まで覚えていたの?」

「え?」と、少し驚きを見せた彼女。

それはと、前置きの後、彼女が語ったのは

「・・・貴女と同じ氏姓だったからよ。貴女と同じ文化柳氏からの分派。それから・・・博士の名よ。名前は、何と!あの正祖イ・サン(李 祘)のお爺様、英祖と同じだったのよ!」

「じゃあ。博士は、ユ・クム(柳 昑)。そう・・・なのね。」

歴史は余り得意ではなかった。

どちらかと言えば、理系の私には無縁なものだと思っていた。

それでも、李王朝の王様の順番くらいは、知って、いいえ、覚えていた。

「ウンス。ユソンセンニム。面倒臭がらずに・・・たまには電話くらい・・ね。」

別れ際の彼女の言葉。

彼女とは、それっきり・・・なぜって?

だって・・・私は高麗の時代に連れ去られたんだもの・・・。

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飲み会で

飲み過ぎじゃない?しんどくない?
ママ友
大丈夫!大丈夫!
飲み放題だもん飲まなきゃ〜!!
私ほどお酒に強いやつはいないよ〜
前の飲み会でも超飲んだ〜今回はそれ以上頑張るから〜
飲み会の後、駅のトイレから出てこない。
何度呼びかけても反応なし…
駅員さんに事情説明
なぜか私が叱られる…
扉開く
ママ友寝ちゃってる…?
嘔吐してるし
大丈夫かな…
駅員さん救急要請、
到着まで私はママ友の吐瀉物の処理
救急車に同乗し病院へ
急性アルコール中毒
今夜は入院になります
ママ友の家族に連絡できますか?
または、家族の連絡先分かりますか?
と言われたので
ママ友自宅に電話して
搬送先の病院と状況を知らせ
家族と連絡とれたこと病院に伝え
ママ友の旦那さんが病院に来たところで
私は自宅に戻った。
翌午前中(日曜日)、ママ友は退院したらしい。
私に連絡はきていないけど↓で知った
タイムラインに
初入院!が急アルっていう!笑!
花ちゃんが救急車呼んでくれたらしい!
今帰ってきた〜!
ビール飲みたい〜笑笑
結局その日連絡なし
月曜日朝園で会った
ママ友
おはよ〜
点滴の針のあと、まだ残ってるよ〜見て〜
……
元気そうで、ホッとしたよ
でもさ、一言ありがとうくらいあってもいいんじゃないの?
  


救急車 関連ツイート

RT @4_an_5: 私は11月18日に勤務中、車を運転していた所、目の前でバイクが転倒した為、自分は絡んでおりませんでしたが応急救護を行いました。
そしてパトカーと救急車を呼んだところ、駆けつけた警察官に「誘発事故」として私を人身事故の加害者として処理されました。
私は本日…
内科、婦人科で診てもらった。排卵痛だということで、痛み止めの座薬もらった。こんなに救急車呼ぶか迷うくらいの激痛が襲ってくる状態で生活できるのかなぁ…
RT @ajisaiyoko: <経験値と直感>

事務所にいたら
0歳児の新米保育士が
血相変えて呼びに来て
7カ月男児が
ミルク嘔吐
顔色悪い
お腹膨れている
「いつもの笑顔が無くて苦しそう」
彼女の「いつもと違う」察知だった

嘔吐繰り返し
直ちに救急車と保護者連絡
「腸…

RT @ajisaiyoko: <経験値と直感>

事務所にいたら
0歳児の新米保育士が
血相変えて呼びに来て
7カ月男児が
ミルク嘔吐
顔色悪い
お腹膨れている
「いつもの笑顔が無くて苦しそう」
彼女の「いつもと違う」察知だった

嘔吐繰り返し
直ちに救急車と保護者連絡
「腸…

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