救急車盛衰記
今朝は歯磨きしてたら、
頭の中にラジオ体操の曲が流れた。
『ラジオ体操の歌』
新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空仰げ
ラジオの声に 健やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三
歌詞を調べて知ったけど
私、ところどころ歌詞間違ってた。
ラジオの声に→太陽の声に
健やかな胸を→健やかな夢を
でも、私の歌詞も良いなって思った。笑
小学校の夏休み、
毎朝ラジオ体操に行ってた時を思い出す。
トイレに行きたくて行きたくて
我慢してた、嫌な思い出も…( ˊᵕˋ 😉
この曲って、なんか元気が湧いてくる
口ずさんでみると、もっと。
新しい朝に
清々しい気持ち。
ワクワクする気持ち。
連日歯が痛すぎて、不安に襲われてた自分への
応援ソングだったのかな…て思った(*´罒`*)
昨日は、歯医者行ったにも関わらず
痛くて痛くて、救急車呼ぶかと思ったくらい。
(こんなに歯で痛いの初めて)
今日はまた、新しい朝。
うん、今朝は痛み良くなってる!
可愛いかわいい娘の寝姿。
このシロクマ、ほっぺが赤いとこもだし
娘に似てる♬︎♡
最近よくしゃべる娘。
歩きながらしゃべってるときに、
突然横向いたり、振り返って
『あ?』
『ん?』
『うぇ?』
ていうのが、可愛くて面白くてツボ。笑
旦那さんの聞き返す癖の
真似っ子かな。笑
おわり
救急車を知らずに僕らは育った
あたしの家には、
お仏壇はありません。 ꒰⌯͒•̩̩̩́ ᴗ •̩̩̩̀⌯͒꒱ が、
お位牌、仏具、両親の写真を飾り
毎日、お水とお花 💐 ( たまにナシ! 𐤔𐤔 )
好きだった食べ物などお供えして、
お線香をあげ、手を合わせて、
Ω\ζ゜)チーン 🙏🙏🙏
そして、語りかけています。
「 今日も一日、それなりに頑張るから、
見守っていてねー 」
出かける前には、
「 気をつけて、行ってくるね〜 」
って、こんな感じで、、、 (^ω^)
母は、平成 26年 1月 26日
大変覚えやすい日に亡くなりました。(笑)
ちなみに、あたしの大好きだった叔母も
2年後の同じ日に旅立ちましたから、
命日には、叔母の事も思い出します。 🤔💭
先日は、五回目の 母の命日
誰も呼ぶことなく …
ジョージも忙しかったので、
いつもと変わらず、ひとりで、
Ω\ζ゜)チーン 🙏🙏🙏
お花は、お母さんが好きだった
PINK、PINKのブーケ 💐
あたし流で、、、
Ω\ζ゜)チーン
そして、大好きだったイチゴ 🍓
シールは、取ればよかったね! (˃̶᷄︿๏)
季節感のある節分の豆! 𐤔𐤔
一畑山薬師寺で買った大福!
まあ、いつもと変わらず …
なんだけど、、、
霊供膳も用意しました。
Ω\ζ゜)チーン
でもあたし ……
ホントの事言うと、命日はイヤ !!
(⌯˃̶᷄ ﹏ ˂̶᷄⌯)
罰当たり?かもしれないけど、、、
26.01.26🗓、あの日 ……
朝から、救急車呼んだこと、
先生から、「 2.3日しか持たない 」
ずーっと目を開けてたお母さんの顔、
そして、その夜ドラマのように
「10時8分にお亡くなりになりました。」
と言われたこと、、、
とても ……
とても、長い一日でした。
いまだに、鮮明に覚えてて、
思い出すと、胸が張り裂けそ〜になるんです。
夜は、TVの時間表示も消しました。
10時 08分
思い出すのも、ノォォ━━(゚д゚;)━━ッ!!!!
命日 は、故人を偲ぶ日 !!
と、言いますが、
あたしは一日たりとも、両親の事!
父の事は、忘れる時も … 𐤔𐤔
思い出さなかった日は、ありません。
だから、命日の日だけは
あまり思い出したくないのです。
これが、あたし流
命日の過ごし方
でした ……
by ʚ❤ɞ ri
あなたのお探し物救急車はココです。
9月18日夜中。
パパからのLINEは続く。
0時42分
睡眠薬を点滴で流している。
【少しでも眠れるといいけど‥。】
0時45分
俺はともみに嫌われたかもしれない。
大事な決断の時に戸惑った。
約束したのに‥。
【そんな訳ない!それに戸惑うに決まってるよ】
0時51分
あの後、ともみは頷くだけで、一度も目を開けてくれない。
【オキファストでフワフワしてると思うから‥】
1時7分
また痛みだした。
オキファストフラッシュして、ミタゾラムを0.2づつ始めた。
なんとか今日は帰れるようにする。
【やっぱり今日が本格的なセデーションになりそうだね‥。】
4時1分
もうダメかもしれん。
ミタゾラムを継続してやっても全然眠らない。
せん妄がかなり強い。
【せん妄って、どんな‥?】
5時17分
せん妄は少し落ち着いた。
今はミタゾラムを止めている。
【明日はせん妄が少し落ち着くと良いけど‥】
5時35分
ともみに十字架を背負って生きていけと言われた。
【そんな事絶対に思ってない!せん妄のせいだよ‥。意識が混濁してるだけ‥。でもね、これが癌患者の家族‥だよ‥。】
朝9時になり、私は草津の看護師さんと最終打ち合わせをして、名古屋の病院で受け入れ態勢を作る。
母は(民間救急車)で帰ってくる。
もう、普通の車に乗ることすらできない。
命がけで帰ってくる。
移動中に、もしも。があるかもしれない。
それからも、パパとLINEでやり取りが続く。
【ともちゃん、どう?】
【ともちゃん落ち着いてる?】
そして
12時13分。パパから、
(今高速乗った。今のところ渋滞がないからスムーズに行けそう。ともみはミタゾラムが効いていて眠っている。)
12時55分
(亀山をこえたよ。)
13時12分
(四日市こえたよ。)
13時16分
(桑名こえたよ。)
13時34分
(高速降りたよ。)
14時00分
民間救急車が、受け入れ先の病院に到着。
病院で手続きを終わらせて、私と娘1、娘2。
そして私の妹と弟。
祖母。母の大好きな友達達‥
母が運ばれて来るのを待つ。
何もわからずに、
【ばぁば、まだかなぁ】と無邪気に待つ娘1。
必ず治る。
必ず‥と願って信じて待っていた母の友達。
昨日まで、話ができていた母。
【明日、名古屋でね!!】
手を握り合って約束をした母。
自分の意思で、
【18日にみんなとお別れする。】
と決めた母。
そんな母は‥
たくさんの医療関係者に囲まれ、
意識も無く。
担架で運ばれてきました。
変わり果てた母の姿。
娘1は絶句していました。
友人達は泣き崩れていました。
私は言葉が出ませんでした。
すぐに簡単な処置をしてもらい、病室へ。
綺麗な個室のフロア。
【ともちゃん‥おかえり。】
返事はありません。
【ともちゃん‥。やっと帰ってこれたね。】
【この病院に、こんな綺麗なフロアがあったんやね。】
【元気な頃やったら大喜びやね。】
【ねぇ、ともちゃん‥。】
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長くなりましたので、次に書きます。
タイトルの【本当は生きたい。】は、
母が亡くなる前日に、祖母に言った言葉です。
【本当は生きたい。】
【でも、もう無理みたい。】
祖母は、
【私も本当は逝ってほしくない。】
【でも、もう解放してやりたい‥。】
私は、これを聞いて
胸が張り裂けそうになりました。
これが、癌患者の家族なのだなぁ。と。
配偶者、親、子供‥
最愛の人に生きていて欲しいのに、
もう苦しみから解放してやりたい‥
こんな悲しい決断をしなければいけない。
‥私はやっぱり癌が憎くて仕方ありません。
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