40分で理解する信号待ち
信号待ち 何も足さない、何も引かない
以前の記事で、桜田門付近の内堀通りを行く国際興業バスを取り上げたことがありますが(下記関連記事参照)、今回も同じ国際興業バスの、思いもよらない場所での目撃談。
ただしここは、かつて本当に国際興業バスが通っていたことがあります。
その場所とは、神保町から水道橋駅に向かう白山通り。
そこに国際興業バスの新型エルガが現れました。
三崎町の日大経済学部の前
信号待ちで停車中のバスをリアから撮影しました。
こちらは停車中に正面へ回り込んで撮影。勿論歩道の上から撮影しており、フラッシュ使用もしておりません。
正面から
実はこの白山通りには、昭和52(1977)年12月まで、「東52」東京駅丸の内北口-常盤台教会間の路線が走っていました。この路線は東京駅丸の内北口を出て大手町~気象庁前と進み、白山通りに出て一ツ橋~神保町~水道橋駅~文京区役所、さらに文京区役所からは現在の「上60」と同じルートで大塚駅に達し、その先は板橋駅~常盤台教会へと達する長距離路線。都営バスと国際興業バスの共同運行とされていました(の)。
しかし、このような郊外から都心へ乗り入れる、都営バスと民営バスの共同運行路線は、昭和40年代末ころから地下鉄網の充実、定時性の低下と収益性の低下などの要因により、廃止・分断の憂き目に遭っています。「東52」は最初のころに廃止になった共同運行路線ですが、これが廃止された昭和52年は、都営バス路線網の大リストラがなされた年として記憶にとどめられるべき年です。その2年後にも、都営バスでは再度の路線網の大リストラがあり、この2度の大リストラで不採算路線がかなりカットされました。ただ、この2度にわたる大リストラは、不採算路線のカットという面では成果を上げたものの、定時性の確保という、当時の一般路線バスが抱えていた根本的問題点にメスを入れるまでには至っていません。この点に本当の意味でメスが入ったのは、2度目の大リストラの4年後、「都市新バス」が走り始めた時期です。
この車は勿論、どこかで貸切業務をこなした後で営業所に戻される回送の途中ではあるのですが、もし現在でも「東52」が生き残っていたら、このように新型エルガが白山通りを快走していたのかもしれない…と、しばし妄想に浸ってしまいました。
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調べながらやれば出来ると思うけど( ˙-˙ )
ほほー!それは楽しみやな( ・∀・) ニヤニヤ
あいだ抜け(すり抜け)は、そんなやらなくて… https://t.co/5s0H1FZVFe
「災害派遣 福島県」と書かれた自衛隊のトラックが続々と通り過ぎて行きました。
東日本大震災の時は全国から来て頂いたんだもの。
今度は福島が支援しなくちゃですね。
うーん?何しにこんな夜中に歩いてるんだろ。坂のあるほうから歩いてきたけど坂のぼらないと飲み屋ないしでも1時間前に閉店してるしなー。認知症の可能性も?