救済の評判

救済の評判

変わらなきゃ救済

GOGO5で手帳の話題が出て
塚ちゃんもお仕事の事とか
スマホにたくさん溜まってるんだね
私も一年前にはこんな事を考えていたとか
○○へ行ってきた、とか備忘録で
頂いたものや振り返れるアメブロが
手帳に近い感覚です
今年の漢字が発表されて
地震や台風、確かに災害多かったと改めて
あの地方にお住まいの方々ライフライン
大丈夫かな…と心配したり
コンサート直前の大地震に
東北まで遠征大丈夫だろうかと
心配したのを思い出しました
昨年は『会』だった私
A.B.C-Z星星星星星に会えたり
ずっと会ってみたいな~と思っていた
えび友さんにたくさんお会い出来たからと
そんな記録も振り返れるアメブロ有難いにこ
この数日、誰に伝えるわけではないけれど
今年は私は何だろうな~と考えていて
出て来た一文字が
   
       『謝』
これが一番気持ち的に強かった
意味合いを見ると  シャ、あやまる
謝罪の雰囲気が全面にでているような
気がしますが
感謝の謝
礼を言う
と、言う意味でもあります
他に『動』遠征で行動に起こしたり
常に動いていたから、とか
『楽』JOYポリスの嬉しく楽しかった
思い出があるのですが
やっぱり『謝』だった
常にLOVE義理チョコを与えてくれた
A.B.C-Zに感謝
ホールツアー最高に楽しかったよ
ご一緒していただいたお友達
初めましてできたお友達
お会いしてなくても
チケットを探して頂いたり
取って頂いたり
皆さん本当にありがとう
感謝ですキラ②
A.B.C-Zが繋げてくれたご縁ラブ
テレビ局さんにまで思ってしまいます
楽しい番組ありがとう!
もっと、もっと、もーっと来年は期待ハート
全く出なくなるのかと
思っていた少クラでも
たくさんの笑い、笑顔いただきました
少クラさんに感謝だよ~ラブ
順不同!!

楽しそうな姿、ステキな姿も見れて
本当にありがたかった~
感動もううう
えび座も、あること自体に感謝だし
関わっているJr.くん達みんなが
何かしらA.B.C-Zへの愛を
発信してくれていて
雑誌や彼らのブログを読む度に
嬉しくなります
本当に順不同だな~苦笑
ジョイポリスさん!!コラボレーション
本当にありがとう!!感謝感謝!!
アトラクションや、コラボフード
夢のような企画だったな
一度しか行けなかったけど
体験できた事、今でも夢のようです
ジョイポリス関連の
皆さんのブログやお話が本当に楽しかった
青柳ういろうさん
濱口さんが名古屋コンサートに差し入れ
からの~紫芋ういろうの限定販売星
嬉しかったよね
美味しかったよね
通販で地方発送、ありがとうございましたキラ②
2年前は観れていなかった
コインロッカーベイビーズ
再演に衝撃や葛藤は少なからず
あったものの
素晴らしかったううう
歌が…歌がたまらない
語彙力ないけど
表情から仕草…いまだに頭にインプット
忘れられないんだ
ふたりの素晴らしい舞台
再演に感謝だし
遠い富山まで行かせてくれた家族にも感謝
もっともっとたくさんの出来事
あったのだけどA.B.C-Z関連全部が思い出
私がへこんだとき、娘事で悩んだとき
話を聞いてくれるだけで嬉しかったし
かけてくれた言葉にたくさん助けられた
グッズのお声かけ、番組の救済
何も聞かずともグッズ送ってくれたり泣
地方住みの私にはどれだけありがたかったか
本当に感謝です
いいことばかりではなくて
心に引っかかっていることもあり
そちらも『謝』
自分の行動やってしまったううう
迷惑かけてしまった…ということもあるので
反省しながら、謝りの気持ちもあります
昨日届いたクリスマスプレゼント🎄🎁
お気持ちに感謝~ハート
細かい部分にまでさりげな~い気配りの
利いたチャーム横浜に連れてくよ~ハート
私も忙しさ言い訳にしないで
一年の感謝の気持ち届けなければ…にこ
昨夜、思い出MV作っているシーン
本当に楽しそうで
出来上がりも笑うところもあったけれど
やっぱり、上手なんだ~とひたすら感心して
しまいました
『最後の』ってのが続々で
年末にな
につれて
寂しさがより一層増していますが
一切出ないと宣言した
男気溢れるタッキー本当にカッコ良かった
今年の日曜日休みは今日が最後
来週も、再来週も仕事…
やることリスト作って
お掃除も頑張らないとにこ

救済マニアのコレクション

如是庵*おっこです。クリスマスツリー

前回書いてから一月半が経過してしまいました。真顔

いやもう、なんと申しましょうかこの間に頂きました皆さまからのたくさんの「いいね!」に心より感謝しつつ、

ただただ日常の時間に追われていた我が身を反省するばかりでございます。ぐすん

本当にありがとうございます。

さて、今回はそんな我が身と被せるような内容となりますが、『予期せぬ災難』について

般若心経に絡めながら綴ってまいりたいと思います。

…と、その前に、先日、今年一年を象徴する漢字が発表されましたが、これが「災」でした。

この「今年の漢字」は毎年投票で決まりますので、多くの方々がこの一年を振り返って

天災、人災問わず、多いと感じたということなのでしょう。

災難、災禍、災害、災厄、災異・・等など、言葉としてあげるだけで、なんとなく気持ちが

重くなって来る感覚があります。

実際に今年は地震、台風、熱波等、想像を超える規模の自然災害の被害に

遭われた方々が大変多い年でしたので、けして軽はずみに口に出せるものではありません。

そのことを十分に心得た上で、この年の瀬に敢えてこのテーマを書かせていただこうと

思ったのは、この「災」なるもの、いつ自身に降りかかるのかが分からぬものゆえ

身の回りの物質面だけでなく、「心の準備」の必要性を強く感じているからです。

実は私自身、この2か月弱の間、いうなれば予測不可能だった災厄の渦中におりまして・・・アセアセ

まぁ、何とか、ようやく方向性が視えてきた状態です。

まだ出口にたどり付くまではもうもう少々時間を要すると思いますが。。。

とはいえ、規模の大小、多寡に係わらず、誰の身にも起こり得るのが、この「災」・・・

予期も予測もできない状況下で、どう切り抜けていくのか?えー?

頭を抱えながら、場合によって恨み言の一つや二つ、

いや、三つや四つ言いたくなることもありましょう。。ぐすん

ぶっちゃけ申しますと、私はこの数週間、歯を噛みしめ過ぎたためか、

あごの骨が痛くなってしまいました。。。しょんぼり

でもね。。。

私も、そして、誰もが分かっているんですよね。。。 ほっこり

恨み言をいっても何の解決にもならないってこと・・・ 

私は幼い頃に親から刷り込まれた仏教の教えが自分の根っこ部分にあることを

ある程度自覚しながら生きてきましたが、今のように般若心経に親しみ、

諳んじられるようになったのはここ数年です。(5年以上10年未満?ウインク

そのきっかけが当時の私がやはり大きな大きなうねりの中に放り込まれ、

もがき苦しみ、神仏のご加護で他者へ救済をが祈ったことからでした。

聖書の有名な言葉「求めよ、さらば与えられん」というのがあります。

安易な考え方をすれば、神仏に誠心誠意の想いを込めて祈ったこと、

そして、その時の自分に与えられた手段(思いついた方法)が「般若心経」で、

まさに、自身が求めたことにより救済への道(他者からの協力等)を

得られたと思っていました。

でも、この「求めよ、さらば与えられん」に相反する言葉として、

仏教用語には「求不得苦(ぐふとっく)」という言葉があります。

要約すると、「求めているものが得られないことから生じる苦しみ」を指すそうな・・・

聖書の中の言葉を私はここで論じるのは控えたいと思いますが、

この二つの言葉を単にイメージだけで比較してしまうと

後者の方が生きていく上での覚悟を求められているような気がするのです。

もちろん仏教の教えは「大乗における他者救済」であることには違いはないのでしょうが、

「人として生きていく」ために、そして、その人生を全うしたのちのことも踏えながら

日々の修行として自分に与えられた荒波の一つが「災」とするならば< /p>

必ず乗り越えていける・・・ と、私は思っています。

いや、こんなふうに云えるのも、今やっと・・・なんですが。。。アセアセあせる

凡夫であるがゆえ、途中途中で爆発寸前にもなりました。

身を置いた環境への憂さをはらしたくもなりました。

種をまいた人に対し、罵詈雑言を浴びせたくもなりました。

でも、どれもこれも結局は解決にはなりません。真顔

なぜなら、すべて負に繋がる感情が起因しているからです。

目の前にある問題や災難を解決したいのならば、ネガティブな感情は

マイナス方向に増幅させてしまうだけ。。。

マイナス思考に自分が苛まれてしまうのであれば、

その思考や、そうなる場を避け、自分の心身を避難させることも必要な手立てです。

昔むかし、“『逃げる』と『避ける』は違う”と、師から教えてもらったことがあります。

『逃げる』は文字通り、単に逃げ出すこと。

しかし、『避ける』は、自分を守るための手段であること。

齢を重ねた昨今、つくづく思うのです。

この違いを理解し、日常生活の中で実践できるようになると、

人はその時々で賢く強くなれると。。。

世の中、自分の心の在り方だけで生きていけるわけではありません。

自分の周囲にいる人たちや、環境の影響を大きく受けながら生きていくわけです。

そして、人の心には目に視えぬ感情という魔物が棲みついているもの。

これは般若心経の中にも書かれている通りです。

時と場合によっては、自分と他者との間にその感情がもつれ合い、

そこに作用や反作用が生まれてしまいます。

これらが否応なく自身に降りかかってくる災厄に発展することが往々にしてあることも

私たちは経験の中で知っています。
そんなときは潔く撤退する(避ける)ことが必要なのかもしれません。

今日の一枚は私の愛読している般若心経ポケット版から

引用させて頂きました。観音菩薩さまのお姿ですね。。

それでは今日も最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

明日も明るく朗らかな一日を。。。  (≡^∇^≡)ベル

記事の最後に貼らせて頂いている当工房のHPの表紙に

「最新情報はこちら」ボタンを設置いたしました。

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見ろ!救済がゴミのようだ!

妻のサマンサが、この映画を観た友達が「みんないいって言ってるよ」ともぞもぞしていました。
じゃあ久しぶりに一緒に映画に行こうということになりました。

1970年代から80年代に活躍したイギリスのロックバンド、クィーンを描いた映画「」です。

私が10代の時分、クィーンは斬新な音作りとメロディーでお気に入りのバンドのひとつでした。
それなのに、サマンサに声をかけられるまで、この映画を観ようとは思っていませんでした。
ロックのアルバムをあまり買わなくなったきっかけが、1970年代半ばにいったクィーンのライブだったのです。

   ◆      ◆      ◆

メンバーの姿がステージの照明に浮かんだ瞬間、ものすごい歓声があがりました。
中学生時代に初ライブにいった時分の大人しい空気から比べると会場の様子がすっかり変わりました。

ロックのライブには、この空気の方がロックらしいですよね。
1970年代初頭、来日アーティストは言葉を慎重に選びながら、日本の観客が大人しく=ノリが悪くて戸惑うと話していました。

ライブはその勢いのまま、演奏が開始され、クィーンと観客が一体で全速力で駆け抜けました。

観客としてスロー・スターターの私の気分は、ちょっと立ち止まっていました。
私はライブ開始時のまま波に乗り損ね、ひとりスタートラインに立ちすくんだまま、ライブは終えてしまいました。

   ◆      ◆      ◆

映画は、フレディ(vo) がブライアン(g)とロジャー(ds)に出会う場面から、アフリカの飢餓救済にミュージシャンたちが立ち上がった LIVE AID のステージまでを描いています。

次々湧き出すフレディの常識外れのアイデアと過剰なまでの自信。
テープが劣化するほど何度も音を重ねる録音風景。
成功につれ爛れていく私生活。大切にしたいのに徐々に離れていくメアリーとの距離。
他のメンバーも観客と一体になろうとする姿勢の変化と、フレディとの軋轢。
第一線から離れていくバンド活動。

私が行ったあのライブのように、2時間を超える上映もテンポよく駆け抜けるようにあっという間にエンディングを迎えました。
LIVE AID のステージのシーンはカメラワークまで実際に残されている映像の再現にこだわっていました。

   ◆      ◆      ◆

期待していた以上に映画に引き込まれました。
他の人より期待が低水準だったかもしれませんが。

私が実際に耳にしてきた音楽と目にしたライブの成功の一方で、陰の部分が映像化されたからです。
単に表に出ていなかったというだけでなく、傲慢、葛藤、不仲、孤独、退廃、病気といった負の部分をふんだんに描いています。
その末になんとかたどりつくことができた LIVE AID という舞台が、積り積もった屈託にある決着をつけ、読後感に相当する映画を観た後の気持ちの在り方を整理してくれました。

[end]

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作家別本の紹介の目次なら
日本人著者は

海外の著者は

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ゾンビランドサガ、11話で死んだ人のためにライブっていう救済をくれるの…よか…
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