本歌 アニキのタント
オススメ最新作(※少しネタバレあり)
新参者シリーズのクライマックス、天晴れ!といったところです。
個人的には映画版の前作『麒麟の翼』より断然オススメです!
従来のシリーズ作品とは異なり、映画ならではの迫力をもって描かれる”新参者の来し方”。
現代版・曽根崎心中とも言えるこの『祈りの幕が下りる時』は、小説を映像化することの力や意味を再確認する事ができます。
見事な本歌取りを用いた原作に、映像としての熱量が純粋にプラスされた快作を是非劇場で!
『祈りの幕が下りる時』
(2018)
初日に観ておきながらブログアップが今更になってしまったことが悔やまれますが、この1週間は日劇閉館とか仕事とかで忙しくしており、そうこうしているうちに本作は2週連続No.1という好成績を収めております!
興行的な数値もさることながら、その評価の高さが一本の映画としての良質さを物語ってますね。
公開されるやいなや、松本清張の『砂の器』のようだと評されている本作。
個人的には現代版曽根崎心中に近い悲劇だとも思っています。
その悲劇のテーマは「親子」です。
シリーズを通して少しずつ描かれてきた加賀の親子関係。
今回は加賀の母親の謎を通して物語の完結としていますね。
そのため、これまでは事件関係者がある意味で物語の中心だったんですが、今回の中心は加賀恭一郎です。
そのスタンスは「人は嘘をつく」「嘘は真実の影」という新参者シリーズお約束のナレーションを、加賀恭一郎自身が喋っていることに良く現れています。
(過去作品では他の役者が喋っていました)
そんな映画の冒頭の事件発生からしばらくは、名脇役である松宮(溝端淳平)が映画を引っ張っているのが秀逸だと思うのです。
主人公である加賀に焦点があたっているストーリーだからこそ、冒頭から前面や中心に加賀が存在すると、出来過ぎ感や嘘臭さやクドさみたいなものが強くなってしまいます。
そこを薄める役割と、主人公が外野から急にマウンドの上に立たされるドラマチックさを生み出す役割を担っていますね。
詳細は後述しますが、本作の監督は従来の方から変わり福澤克雄氏!
(好きだわぁ、福澤さんの演出の方向性や映像センス)
とても監督の色が綺麗に映画に出ており、そしてそれがこの作品に合っていたなぁというのが観終わって最初の感想です。
ドローン撮影による迫力ある画の採用から始まり、カット割や画角、2時間ずっと飽きずに観させる物語の起伏や演者の感情の振れ幅とその切り取り方もダイナミックでした。
前作『麒麟の翼』に比べ、ドラマの流れをくむコミカルなシーンが多すぎず少なすぎずの良い塩梅で入っているのも観ていて心地よかったです。
新参者シリーズが謳ってきた”泣けるミステリー”に映画らしい要素が加わっていますが、サスペンス感というよりは日本らしい情念みたいなものが強いというのが全体の印象。
(無償の愛や献身、自己犠牲の物語を描かせたら右に出る者が果たしているのか!?という東野圭吾の真骨頂が現れた作品ですしね)
そして、最後まで観終わって振り返ってみると、観客の感情が冒頭から綺麗に昇り調子の曲線を描いている気がしますね。
842円
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それではお待たせしました。
ここまで長くなりましたが、そろそろ祈りの幕が上がる時間です。
「やっと開幕か…」
※本レビューは一部ネタバレを含む箇所もございますのでご注意ください。
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■開幕 ~ 『祈りの幕が下りる時』あらすじ
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東京都葛飾区小菅のアパートで女性の絞殺死体が発見される。
被害者は滋賀県在住の押谷道子。
殺害現場となったアパートの住人・越川睦夫も行方不明になっていた。
やがて捜査線上に浮かびあがる美しき舞台演出家・浅居博美(松嶋菜々子)。
しかし彼女には確かなアリバイがあり、捜査は進展しない。
松宮脩平(溝端淳平)は捜査を進めるうちに、現場の遺留品に日本橋を囲む12の橋の名が書き込まれていることを発見する。
その事実を知った加賀恭一郎(阿部寛)は激しく動揺する。 それは失踪した加賀の母に繋がっていた――。
(映画『』公式サイトより)
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■第一幕 〜 監督の魅力
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ジョン・ウー監督なら、
2丁拳銃・スローモーション・白い鳩。
福澤克雄監督なら、
アップ・夕日・テロップ。
[福澤克雄氏]
 
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本作の監督は福澤克雄氏。
特にここ最近話題になり、一般の方にも名前を知られてきました。
一躍彼の名を知らしめたのは『半沢直樹』『下町ロケット』『陸王』などのTBS系日曜劇場の枠です。
特に前述の通り、池井戸潤原作の作品と相性が良いですね。
彼の代名詞といえば前述の通り、
①大アップの鮮やかな夕日のシーンの挿入
②キャストの(顔芸含む)ドアップ
③状況説明を簡潔に果たすテロップの多用
という独自のこだわり演出があります。
そういうの良いですよね。好きです、監督のこだわりって。
①②は特に劇画的な演出で、映画館の大スクリーンで見る意味のある映像に仕上がるので、相性が良いですね。
また、③についても今回のような家族や人の関係が入り組んだものが物語のミステリーの核にある場合、セリフや映像から把握・記憶して映画の最後まで覚えるというのはそれなりにハードルがありますよね。
(小説だと読み返したりすることができ、把握しやすいわけです)
そこを端折って親切に観客をミステリーの起伏に載せる術として使っており、特に物語の導入───溝端演じる松宮が物語を引っ張る冒頭───で多用されており、初見の方にもとても分かりやすい作りになっているんですねぇ!
加えて今回は捜査本部の会議が見事に「現状の整理」という機能を果たしており、多分一緒に謎解きをするという気分が味わえるのが今回ヒットしてる一因ではないかと。
スタッフもキャストも彼の作品には常連なる存在が多く、「福澤組」とも呼ばれています。
(ちなみにネットで福澤さんは”オレンジの帝王”と呼ばれているそうw)
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■第二幕 〜 新参者シリーズの魅力:WHYDUNIT
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whodunitではなく、whydunitにフォーカスした刑事ミステリードラマ。
それが新参者シリーズです。
過去作品を、個人的な感想を添えて軽くご紹介。
・『新参者』
10章弱に分かれている原作の構成がそもそも連続テレビドラマ向きですね。
それにしても、メインとなる事件とは一見無関係に見える事件の嘘を紐解いていき、次第に事件の真相に近づいていく。
その嘘に隠された泣けるミステリー
15,798円
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・『赤い指』
これはね、ホラーです、ホラー!笑
観ていて冷や汗が止まらない…!!
息子が犯してしまった殺人を隠蔽しようとする両親の視点で描かれており、じわじわと加賀に追い詰められていく様を観客も体験することになります。
んで、最後は涙ね。
3,279円
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・『眠りの森』
石原さとみはね、やっぱりもっと演技力を高く評価されるべきな気がする。
これも切ない話です。
3,292円
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・『麒麟の翼』
中井貴一の優しい演技が切なさをより一層際立たせる物語。
今観てみると、菅田将暉・山崎賢人が実は出ているというオドロキ。
6,178円
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・物語の中での時系列
眠りの森→赤い指→新参者→麒麟の翼→祈りの幕が下りる時
・個人的なオススメ順
新参者→祈りの幕が下りる時→赤い指→眠りの森→麒麟の翼
※ただし、もし今から復習される場合は、世の中に公開される順番で観るのをお勧めします♪
・「街」というキャラクター
日本橋・人形町。
ストーリー上、街自体がとても重要な役割を
たしています。
新参者シリーズに対しこの街のウェルカム感もとても強く、作品のスタッフ・キャストと街が強い絆で結ばれている感じがして、とても好感が持てます。
今月、来月あたりで『新参者』ロケ地巡りツアーとして、人形町観光をする予定です(笑)
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■第三幕 〜 音楽の魅力
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・劇伴
本ブログ「シネフィル倶楽部」でも度々紹介してきましたが、『新参者』シリーズの作曲家は菅野祐悟さん!
ほんっっっっっっっと、このメインテーマの果した役割の大きさといったら!!!
[菅野祐悟氏]
きっとこのドラマが始まる時に脚本を渡されて読んだ後にスコアを書くと思うんですが、そのホンを読んでメインテーマをこういったメロディや曲調にしようって思わなくないですか?
何度もこのブログで言っていますが、メインテーマで作品を印象付けられる───そのスコアが流れるとこの作品を思い出す、そんな楽曲を作り出した菅野さんはすごい手腕を持っていますね。
自分が好きな劇伴は『SPシリーズ』『』『』『黄金の豚』『少林少女』『謎解きはディナーのあとで』
菅野祐悟さんは(おそらくですが)劇伴に取り組む際に、メインテーマを最初に取り組むと思うのですが、その楽曲が大体7,8分の長尺で、組曲のような構成の楽曲を作られます。
キャッチーなメロディを凝縮して3~5分のJ-POPのような楽曲構成のメインテーマを描く佐藤直紀さんとは異なるスタンスですね。
ちなみに菅野祐悟さんは年一のペースでコンサートを開催しており、彼が担当した作品のスコアのメインテーマを15曲ほど演奏しています。
新参者とSPのテーマは盛り上がります。
・主題歌
『麒麟の翼』に続いて今回の主題歌もJUJU。
何故JUJUなんだろうか…。
映画はJUJU縛りで2作連続で担当アーティストを揃えた事自体はは素晴らしいのですが、やはり何故JUJU…。
ドラマ版の主題歌が山下達郎の「街物語」という楽曲で、これがまたとても今回の作品に合っていたのです!
引き続き劇場でも聴きたかったなぁ、というあくまで個人の感想ですw
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■第四幕 〜 役者の魅力
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・松嶋菜々子
やっぱ超綺麗だわ。
久しぶりに彼女の本気を見ましたね。
自分が中学時代に猛烈に憧れた女優さん。
当たり前ですが自分が三十を超えたぶん松嶋菜々子も歳を取ってはいるものの、女優さんとして円熟味を増している、と表現できる素敵な歳の取り方をされてますね。
今作では彼女の本気が垣間見れる見せ場が大きく3つあります。
・彼女の自宅の真っ赤な壁画の前で加賀と対峙するシーン
・実質的には本作の犯人といえるのではないかという母親に博美が復讐するシーン
・クライマックスの父親との河川敷でのシーン
ここは是非注目して頂きたい!
・桜田ひより
浅居博美の子供時代が彼女じゃなかったら、本作の魅力がもしかしたら半減していたかもしれない───既にご覧になった方はこの表現がオーバーではないと思うはず───それ程までに彼女の存在感が強い。
彼女の泣きの演技が脳裏から離れない。瞼の裏に焼き付いている。
そんな表現がしっくりくる彼女の泣きの演技は、本作の核だと思います。
・溝端淳平
好きなんです、彼の演技。
年相応ではない落ち着きが垣間見えていて。
松坂桃李並みに活躍してておかしくないと思っています。
他にも飯豊まりえの演技もよかったですし、小日向さんの安定感ね!
もちろん、主人公・加賀恭一郎を演じる阿部ちゃんの存在感があってこそ、上の役者さんたちやここまで語ってきた映画の魅力が輝くわけです!
それは明々白々な事なので語るのは野暮。
『TRICK』シリーズや『テルマエ・ロマエ』の役もハマっていると思いますが、『』や本作の阿部ちゃんの方が好きです。
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■閉幕 ~ あとがき
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エンディングがね、まぁ粋で粋で!!
ファン泣かせのエンドロールになってますので、是非最後まで席を立たずにご覧下さい。
ドラマから続くお約束、加賀が行列に並ぶと自分の前で売り切れてしまうというシーンも2回あるなど、ファンサービスと泣けるミステリーと役者の熱演が見事に融合しており、ぜひ劇場でご覧頂ければと思います。
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■予告編
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本歌が昔から好きだった人々へ
本歌のお取り寄せ情報、売り切れたらもう終わり、再入荷はほぼありませんのでご注意を
*:..。o○ ○o。..:**:..。o○ ○o。..:*
『源氏物語』を使った心理学講座。
次回は、朱雀院の人生を観察する
、東京とオンラインで
9月14日、22日に開催します。
その後のスケジュールはです。
*:..。o○ ○o。..:**:..。o○ ○o。..:*
「心の花」2018年9月掲載分(6月提出分)詠草
梶間和歌
なけやなけ死出の山よりほとゝぎすそれとも分かぬひと時の夢
三世(さんぜ)まで契りしひとゝ隔てられまばゆく寄するさ緑の風
よそにのみ遺(のこ)せるひとの血を思ひむなしきはらをむなしとぞ見る
下ばらを裂くとしもこそ子はあらね影をおふおふ下腹を裂く
むらさきの縁(ゆかり)なる子を孕みける程はゆかりと思ふには思ふ
ひとゝ子を生(な)し養はれおくれ乍(なが)らなほ妻としを名告る羨(とも)しさ
生きて見る夢の長くもはかなくも夢は夢なり又夢を見る
我が為になべて捨てよと言ひかねて父としてひとは世を去りにけり
(のあるものが掲載されました)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
なけやなけ死出の山よりほとゝぎすそれとも分かぬひと時の夢
鳴けや鳴けよもぎが杣(そま)のきりぎりす過ぎゆく秋は げにぞかなしき
曾禰好忠 後拾遺和歌集秋上273
死出の山よりほとゝぎす:ほととぎすは
境を越えて行き来する鳥として
捉えられ、
此岸と彼岸の行き来をするとも言われ
死出の田長という呼び方もなされた。
それとも分かぬひと時の夢:
ほととぎすともそうでないとも、
夢ともうつつともわからないひとときの夢
三世まで契りしひとゝ隔てられまばゆく寄するさ緑の風
三世:前世、現世、来世の三つの世
契りしひと:約束した人
よそにのみ遺せるひとの血を思ひむなしきはらをむなしとぞ見る
むなしきはら:空っぽの子宮
下ばらを裂くとしもこそ子はあらね影をおふおふ下腹を裂く
裂くとしもこそ子はあらね:
裂くことさえしても子はいないのに
影をおふおふ下腹を裂く:
面影を追い求めて下腹を裂く
むらさきの縁なる子を孕みける程はゆかりと思ふには思ふ
むらさきの縁:愛しい人のゆかり
紫のひともとゆゑにむさしのの草はみながらあはれとぞ見る
詠み人知らず 古今和歌集雑上867
てにつみていつしかもみんむらさきのねにかよひける野辺の若草
『源氏物語』「若紫」巻 光源氏
ねはみねどあはれとぞおもふむさしのの露わけわぶる草のゆかりを
『源氏物語』「若紫」巻 光源氏
孕みける程は:
孕んだのだから、孕んだということは
ひとゝ子を生し養はれおくれ乍らなほ妻としを名告る羨しさ
おくれ乍ら:
死に遅れながら、生き残りながら
なほ妻としを名告る羨しさ:
なお妻と、まあ、名告る羨ましさよ。
「し」は強意、「を」は詠嘆。
生きて見る夢の長くもはかなくも夢は夢なり又夢を見る
生きて見る夢:無明長夜の現世
我が為になべて捨てよと言ひかねて父としてひとは世を去りにけり
なべて:皆、すべて
言ひかねて:言えなくて
掲載された歌とそうでない歌の差が
わかりやすいですね。笑
構わないのです。
芸術は倫理を超えるというか、
真理をより正確に捉えたのは
倫理ではなく芸術だと考えているので。
ところで、今月の結社誌には
2ヶ月前に掲載された
自選3首のうちの1首ずつ全員分に
選者先生方の評が
寄せられていたのですが。
驚きましたね。
この歌だけを取り出すと
こんな読みになってしまうのでしょうか。
(自選3首はから読めます)
(この歌を含む連作8首はから)
「くさ原」に「煙」とあれば火葬の煙ですよ。
古典和歌ではお約束事。
野焼きなんてありえない。
マルボロの煙でもない。
お約束がお約束と捉えられないのは
時代のせいでしょうし、
私もその影響は受けているので
一概に否定するつもりもない。
現代は平安時代ではない。
それでもね。
基盤も土台もない状態で
ふらふら流行を渡り歩いたり
自分の感覚だけを信じて
オナニー短歌を量産したりする歌人とは
違った覚悟を持って私は詠歌しています。
私には詠歌するうえで明確な意図がある。< /p>
最終判断は
自分を超えた大いなるものに
任せるけれど、
その大いなるものを
目に見える形に表す際の土台には
私の良しとする価値観を据えています。
それが新古今和歌であり京極派和歌。
たかだか数十年の人生で身につけた
自分の感覚や
数十年、百数十年の歌壇の流行といった
頼りないものを頼りにするつもりはない。
提出した時点で歌は他者のもの
という考え方もあります。
「解釈の自由」なんて便利な言葉もある。
けれども、その読者や評者の
リテラシーに対して
作者はどこまで責任を負うのか?
教養、感性、それぞれ千差万別のものに
作者はどこまで責任を負うのか?
その責任の一部を負うつもりで私は
読者もコメントもほとんどつかない
和歌ブログを6年以上続け、
短歌読者のリテラシーの向上に
貢献しようとしているわけですが。
こんなとんでもない読みのズレも
作者の責任なのか?
こうした悔しさは本当に
作者の負うべき悔しさなのか?
解し難いものです。
ちなみに、今回の評とは無縁ですが、
私は“挽歌”という表現を使いません。
挽歌は『万葉集』時代の表現で、
葬送の折の鎮魂目的の歌。
私は平安時代以降に用いられる
“哀傷”“哀傷歌”という表現を使います。
こちらは鎮魂目的ではなく
見送った側の哀傷する気持ち、
恋い慕い哀しむ気持ちを表す歌
という意味なので。
「死んだ人を詠んだ歌は挽歌」
とひとくくりにされると、
「ニュアンス違うし」
「『万葉集』由来一択にすんなアホ」
「ああ、これだから現代短歌は」
と反発してしまいますね。笑
本歌 関連ツイート
と思うとすごくしっくりきた