本歌のオンパレード♪
こんばんは(*^-^*)
「目には青葉…」※とは、よく詠んだものですね…
目に入る情報、って、とっても大切だなぁと
涼し気なこちら↑を拝見しながら、改めて感じています。
※「目には青葉山ほととぎす初鰹」山口素堂(1642-1716)の句。『江戸新道』所収。
写真は、昨年、私が初めて こちらのカフェの「夏」を体験した際に、撮影させて頂いた(お店の方の許可を頂いて掲載しておりますm(__)m)ものです。今年はまた、違ったディスプレイが施されているかもしれません。
久し振りにこちらのサイト↑を訪れましたら、なんと…(>_<)
丸ビル店閉店…
諸行無常…
しかし、お店自体がなくなった訳ではありませんので、気を取り直して参ります!
☆あらためまして☆
こちらは、*源氏香葉書*“一緒に鑑賞しましょう~”コーナーです(*^-^*)
勝手に“源氏香葉書”プレゼンテーターの、「みこ」が、
源氏香葉書と源氏物語について、勝手にあれこれおしゃべりします。
お忘れの方、はじめましての方へ。
葉書の詳細については、
まで
Postcard by nana’s green tea.
こちらの葉書、お店の店頭にて、購入出来ます。一枚150縁(+税)です。
ぜひ、お近くの店舗さまにて、お手に取ってご覧くださいね
今回は、こちらのコーナー始まってから、「二度目の夏」ということで、何からご紹介しようかなぁ~と思っていましたら、何となくこちらかなぁ~と。
それというもの、やはり今年の夏は尋常でない暑さ…どれほど屈強で健康な方も、心身共に参っておられるのではないか…と、外出ドクターストップ中のワタクシが健康な方のことを云々するのも僭越ですが…
少しでも、たくさんの方の“癒やし”となると、いいなぁ~と思いまして。そうすると、もう、この巻、よねということになりました(*^-^*)
「花散里」(はなちるさと)です
イチオウ、物語の流れとしても、 繋がっております。
この頃の光る君(源氏)と言えば、例の朧月夜(前回登場、右大臣の姫君)のことであるとか、藤壺の宮(密か?に慕う父帝の中宮、源氏にとっては、義理の母~)のことであるとか、「思うようにいかない」(←当たり前~そうは問屋が卸しませーん~)、そうした鬱々とした日々を過ごされていたのでした。お父さまの桐壷院がお亡くなりになったことで、ますますご自身の御立場というものが、簡略に言うと後ろ盾を失う。彼の正妻・葵上は、左大臣の姫君ですので、左大臣(政治の上ではトップ;左が上位です)の後見があって、どうにか…というお立場。ところがこの頃は、その左大臣は位を退き(政界引退~)、正妻の葵上は息子夕霧を生んでまもなく亡くなった、その後なのでした。と、いうことで、またしても、ふらふらとし出した光る君。こちらの巻は、これから訪れる「須磨・明石」への辛い旅?の前の、光る君にとっては、ひとときの安らぎのような巻なのです。
巻の名、それから、後世(或いは既に当時の読者から)「花散里」と呼ばれることになる女君のその名の由来は、源氏(光る君)の次の歌から来ています。
それでは、参考・本文引用は、いつものように小学館日本古典文学全集「源氏物語」より。
*******
橘(たちばな)の香(か)をなつかしみほととぎす花散る里をたづ(ず)ねてぞとふ
*******(カッコ)内は引用者(拙)による補足。
昔の人を思い出させるといわれる橘のかおりをなつかしく思って、ほととぎすが橘の花散る里を探しもとめてやって来て鳴いています
*******
さて。この歌は、この時光る君が訪れた「麗景殿女御」と呼ばれる亡き父帝・桐壷院の寵愛を得たお一人、この方のお邸にて、この麗景殿女御さまに贈られた歌です。このお邸に女御さまを訪ねたこの時、ほととぎすが鳴いていた。そのことと、ご自分(光る君)が「なつかしい方」(麗景殿女御)を慕って、やって参りました、という、ご挨拶も兼ねた歌なのですね。
はて。
そこで、不思議なのは、花散里と呼ばれた女君はダレ?ということになります。この方は、実はこの麗景殿女御さまの妹君(三の君;三番目の娘さんの意)なのでした。つまり、父帝⇔麗景殿女御/光る君⇔その妹君(三の君)という相関関係です。ここで、麗景殿女御を訪ねて行くことは、昔の彼女(なんかちょっと流石に違和感がありますね…彼女というより「恋人」といたしましょうか源氏は既にこのかつての恋人・女君に対して「恋」心は懐いていない…ただ、「昔馴染みの懐かしい、心開いてお話の出来るお相手」という、そういう親しみだそうです。←本文より。)に会いに行く~、という、そういうことなのでした。あれこれと思い悩んでいらした光る君ですから、こうして「なつかしい方」とお話が出来るということが、心の癒し、慰めになったのでしょう…(今回は手厳しくない?アタクシ…まぁ、花散里(女君)が良ければそれで…)
源氏(光る君)がここでこうして癒やされたように、この三の君(花散里)が、ただ、源氏の話し相手になってくれた、この場面を読むにつけても、何だかこちらまで癒やされます。花散里という女君が、“癒し系”と言われる所以です。この方、元祖癒し系かと個人的には。
こちらがその部分。(かつて交流がありながら、フラフラと~今は既に過去のヒト~になっているにも関わらず←こちらは拙まとめ・意訳)
「憎げなく、我も人も情(なさけ)をかはしつつ過ぐしたまふなりけり。」
→ 気にさわるようなこともなく、君(光る)も女君(三の君)も、互いに気持ちの底を通わせあっては過ごしていらっしゃるのであった。
…(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン
…穏やかに、心通わせることの出来る相手というものは、まことに貴重な存在であるかと存じます。m(__)m
では。葉書の鑑賞です。
こちらに橘の花の紋が「みっつ」あるのは、なぜなのか。もうお判りでしょう…
この巻で、源氏が麗景殿女御とその妹君(三の君;かつての恋人)を訪ねたことを表しているのでしょう。
この美しいみどり色と白っぽい色に、橘の葉と花を、また、上掲画像では見辛くて申し訳ありません、左上に鳥がいます。ほととぎすでしょう。ほととぎすと花橘と言えば、源氏物語以前より、古くから題材として歌に詠まれてきたものです。この巻、巻の名の由来となった源氏の歌は、古くからの歌(古歌;具体的列挙は煩雑になるため端折りますが、万葉・古今等にある歌です)これを踏まえたものであること、この巻自体が、“本歌取り”のようになっていることを押さえて、鑑賞を締め括ります。
冒頭に挙げました、山口素堂は、この源氏物語の場面をその脳裏に描いていたのかもしれませんね。
目には青葉…山ほととぎす…
初鰹、と来たのは、流石、俳諧の方です。
☆オマケの源氏絵☆
土佐光吉 《源氏物語画帖》 京都国立博物館
「花散里」
(「岩佐又兵衛と源氏絵ー<古典>への挑戦」展 図録;出光美術館より)
☆こちら、先日の別稿で登場された林望さんの謹訳源氏物語です☆
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安全は人と本歌で作るもの
本歌の9割はクズ
宇都宮レポ、続きまして。
宇都宮城址から、歩いて15分ほど。
光琳寺へ訪れました。
いつものことながら、写真が斜めに・・・
木から花弁が落ちて、参道が可愛らしいカンジになってました
戊辰の役官軍 因幡藩士・山国隊士之墓 があります。
因幡鳥取藩士と、藩に付属して戦った丹波国(京都)農兵隊であった山国隊の墓所です。
脇には長岡藩主夫人が詠んだという、「討つ人も 討たるる人も もろともに 同じ御国の為と思えば」の歌碑があるのですが。
この歌、なんか既視感があるなぁ、と思いましたらば。
大内義隆の辞世の句、「討つ人も 討たるる人も 諸ともに 如露亦如電応作如是観」に似てるんですね。
本歌取り、というものでしょうか
→
そして、参道を挟んで向かい側には。
戊辰の役幕府軍桑名藩士之墓があります。
新政府軍と旧幕府軍のお墓が向かい合ってるんですね。
まさに、“討つ人も討たるる人ももろともに”、ですね。
さらに道すがら、六道厄除け閻魔堂で手を合わせつつ。
光琳寺から歩いて数分。
戊辰役戦死墓へ。
六道の辻は、戊辰戦争の宇都宮の戦いでの激戦地でした。
下調べをあまりしてなかったので知らなかったのですが、六道通りの先にある滝尾神社に旧幕府軍が駐屯していたようですね。
この碑は、会津戦争へ転戦した宇都宮藩兵が長岡藩兵と戦った際に捕えた家老・山本帯刀と藩兵を弔うために、六道口の戦没者を合葬して祀ったものだそうです。
法事の最中のようでしたのでお参りは遠慮したのですが、近くの報恩寺には薩摩藩の官修墓地が、一向寺には戊辰の役の慰霊碑があります。
光琳寺はこちら
↓
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そこで他に類のない本歌と写し共に傑作といわれる、ちょうぎさんに白羽の矢が立った
なーーーんてねーーー
・本歌山姥切
・まんばちゃんの布の付喪神
・闇堕ちまんばちゃん
・まんばちゃんが修行で捨てた布を拾った人
って意見が分かれてて面白いな🤔
と思うとすごくしっくりきた