「本歌」はなかった
渉成園「爺3人・紀伊半島1周の旅」其の1
中・高時代の同窓生三人で、年に1度は旅をするようになった。
Fさんの快気祝として大阪の法善寺横丁の「正弁丹吾」で食事会を開いた。
「これから先どれだけの命か分からないから、元気なうちに旅をしよう」.
との話がきっかけとし、東京湾1周・琵琶湖1周・伊豆半島1周と旅を重ねた。
今年は「紀伊半島」を一周することに。
集合はTさんの宅の最寄り駅「JR茨木駅」に夕方5時集合。
自宅を6時に出発し茨城空港発に。
スカイマークの神戸便・茨城空港7:35~神戸空港8:50着。
ポートライナーで三宮へ。
神戸市内や摩耶山・六甲山。
神戸空港やポートアイランドは全て埋め立て地。
ポートピア’81(神戸ポートアイランド博覧会)が開催される数年前(76年ころか)子供達を連れた夏季旅行で立ち寄った際は建物をほとんど見かけなかった。
その頃を思えば、想像もつかない大発展だ。
スカイマークの就航で、札幌・博多・神戸を経由する旅が便利になったのは有難いことだ。
他の航空会社を含め、便数が増えるようであれば嬉しい。
三宮からJR京都駅に。
浄土真宗・大谷派「東本願寺」
道路の反対側の「京都みやびや」で貸自転車を借りる。
大体の旅で貸自転車を利用する。
時間が大幅に短縮され、目的地に到達する道中も楽しい。
東本願寺の別邸・渉成園(しょうせいえん)
9世紀末に嵯峨天皇の第12子・源融が奥州・塩釜の風景を模して作庭した六条河原院の故地とされる。
付近に今ものこる塩竈町や塩小路通などの地名は、その名残りという。
寛永18年(1641年)、徳川家光から東本願寺に寄進される。
承応2年(1653年)、石川丈山によって書院式の回遊庭園として作庭される。
これらの歴史を有する庭園、念願が叶った。
西門の正面にドーンと目に入る「高石垣」
切り石・礎石・石臼・山石・瓦など、多様な素材をくみ上げた石垣。
周囲に枳殻(カラタチ)が植えてあったことから、「枳殻邸」(きこくてい)とも通称される。
この築山を含め、園の北東から南西につながる島などは豊臣秀吉が築いた「御土居」の跡と言われる。
「御土居」に関してはブラタモリの放送で知ったが、高低差や自然の構造を上手く利用し短期間で作り上げた豊臣秀吉の計画は見事なものだ。
池と数棟の茶室、書院などが巧みに配置されている。
「塩竃の手水鉢」
全国の同様の手水鉢の本歌(オリジナル)と言われる。
「塩竃」
横穴の底に「井筒」(いづつ・井戸枠)、その形が塩を製造する塩竃とそれの屋に似ているとして呼ばれたが、現在は水は枯れてしまった。
「縮遠亭」
北大島の高台に建つ、眺めの良い茶室。
「傍花閣」
楼門作りの個性的な建物。
南大島を望む「印月池」には睡蓮の花が。
本歌にこだわるあなたのサイト
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『源氏物語』を題材に心理学講座を開催。
5月の次回講座は
です。
その後のスケジュールは。
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春歌の中に
花の後も春の情(なさけ)は残りけり在明(ありあけ)かすむしのゝめの空
藤原教兼
風雅和歌集春下285
【口語訳】
花の散ったのちにも
春の風情は残っているものなのだなあ。
有明の月の霞む夜明けの空といったら、
これが春でなくていったい何だというのだ。
けれども春はもう、もうすぐに。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
情:情緒、趣
在明:有明の月。
夜が明けても空に残っている月。
しのゝめ:明け方、曙。
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有明の月といったら
やはり男女の後朝の別れ、または
来てくれなかった男を恨む
女の閨怨を連想させるもので。
それと明示されていなくとも、
わざわざ訳にしなくとも、
そうしたほのかな気配を受け取りながら
鑑賞するのが好いのかな、と。
本歌のマル秘情報
ヒトは皆やがてサンゴになるのだろういいね、と押せば共振の波 (岡本はな)
ヒト、サンゴ、波、と優しいゆらぎのある岡本はなさんの詠草から、短歌人会員秀歌選スタートです。この歌を読んで浮かんだのは「すべての生命は海から生まれた」という説であります。満月の夜に一斉に産卵する珊瑚の、生命をもつものにとって最も大切な、最小限の摂理に被さる優しい優しい言葉。
四十九日香典がえしに挨拶の手紙添えられまことの別れ (野上卓)
「淋しさはいつも遅れてやってくる」映画の台詞だったか小説だったか、とにかく私の中で事ある毎に浮かんでくる言葉がありますが、そんな想いを歌にすれば多分こうなります。通夜や葬儀といったお別れの場では、なかなか湧かない実感が、実感として押し寄せてくるのが、その事実を後から活字で再確認した時です。
暖房の効きすぎている館内に息が苦しくジオラマを見る (黒崎聡美)
連作を見るに、広島へ旅行に行った時の歌。作者が訪れたのは原爆資料館です。その時広島でどのような事が起こったか、色んな情報を得て解ったつもりではいるけれど、資料館のジオラマや展示物は、その想像を軽く凌駕するほどの悲惨と苦痛を伝えます。恐らくは暖房の熱も作者は生々しい熱線の一部と感じたに違いありません。
本屋にて下流老人の文字を見る恫喝されている気分になる (伊藤壽子)
雑誌の表紙を見れば老後の不安だとか、テレビを見れば健康健康だとか、アレは読者や視聴者にとって、確かに「そうならないための有効な方法」を伝えるものであるかも知れませんが、いやあれは不安を抱えている人への恫喝です。一言、そういう”煽る風潮”が消えてなくなりますように。
人生の後半部分は患者なり 服薬量が少しづつ増ゆ (牛尾誠三)
ここにも通底する暗い響きを読むことができます。人生の後半、つまり高齢になるとあちこちに不調が出てくる、故に薬の量が増える、少しづつ増えていつの間にか「食事は薬を飲む前の行為」みたいになってしまう。作者の詠みはサラッと冷静です、だからこそそんな状況に圧迫されて出てきた苦しい叫びのようにも思えます。
青空が窓の向こうに戻される洗濯物が取り込まれゐて (角山論)
ベランダからの視界を占める洗濯物が、取り込まれて青空が見えた、視界がパーッと明るくなった。日常のありふれた出来事の、しかもほんの一瞬を詠んだ歌なのに、何故にこうまで詩としての完成度が高いのか、どうしてこうも感情の奥底の、言葉とも意識とも言えないような深い部分に染み込むのか、とても不思議です。初句の導入が全てですね、初句だけで歌になっていますが、全体の構造がそれより美しい。
うっすらとふたりでいよう現実の雨を見ながら匂いのように (辻和之)
これも詩的完成度が素晴らしい歌。先ほどの角山論さんのは隙のない構造日とすれば、辻和之さんのこちらはフレーズの美しさが幻想を漂わせながらダイレクトなイメージで迫ってきます。「うっすらとふたりでいる」から想起されるものは、愛し合う”ふたり”の儚い関係性であるかもしれず。そして「現実の雨」を見ているけれども、ここに一切書かれていないところで、現実ではない雨が降っている。胸にきますね。詠草全体に雨の匂いが漂っていて、それもまた胸にきます。
ラジオから流れきたるは今年古希を迎へるロックンローラーの新曲 (桑原憂太郎)
これはですね、チャック・ベリーですね。御年90で、ライヴではちゃんと歌えてないしギターも弾けてない、でも彼がステージに上がって「ジョニー・B・グッド」のイントロをたどたどしく弾くだけで嵐のような歓声が巻き起こり、歌えてなくても客が全員で合唱するからカンケーないんですよ。カッコイイですね、ロックンローラーですね。桑原さんが聴いた新曲は、亡くなった直後にリリースされたラスト・アルバムからの曲で、これがステージでのヨレヨレ具合がまるで嘘みたいにビシッと決まってて、しかも音もトンガッてすこぶるカッコいいアルバムだったんですよ。え、短歌?すいません、ここはチャック・ベリーのカッコ良さを讃えるコーナーです(嘘)。
車には運転手は乗っていなかった怪談がほんとうになるらしい (田平子)
技術はどんどん進歩して、車はもう自動運転が出来るぐらいのレベルに到達しているようです。でも運転席に人が乗ってない車、何ともシュールで不気味ですね。まったく無人の車が勝手に車庫から抜け出して走り出すこともあるんだろうか・・・と、人間の私としては思ってしまいますが、田平子さん、これは恐らくこの人の持つ、かなしくてユーモラスな”この世ならざるもの”の視点で詠んでおりますね。作者の世界観の勝利です。
花のいろ間引かれてゆく五色入りマーカーの濡れたままなる草色 (大平千賀)
今や文房具としてあらゆる場面で大活躍のマーカーです。メジャーなものとしては蛍光の黄緑とピンク、そして青ですが、その三色よりちょっと人気が劣るのが緑色。すぐ切れる他の色を間引かれてゆく花の色に喩える視点、こういう物にそっとペーソスを添えて情感を吹き込む大平千賀さんの歌の巧さ、心情表現の切実さは流石です。
ざらざらとその身削らせて枯れ落ち流れ、流れ、とおのく (鈴木杏龍)
繊細で読んでいるこちらの意識まで、落ち葉と一緒に砕けていきそうな描写ですが、削られて流れて遠のいてゆくのはきっと落ち葉ではありますまい。作品の批評とは少し違うかも知れませんが、創作物の”強さ”って、きっとこういう内側の弱さ、抱え込んでしまっている脆さをある種の厳しい覚悟を持って吐露出来る作者の心意気みたいなものだと思います。鈴木杏龍さん大好きです。
白
黒の猫が民家の縁側で陽だまり色に丸まつてゐる (屋中京子)
という訳で今度は極限までほのぼのしましょう。縁側で丸まっている猫さんです、素直な描写です。でも、「白黒の猫」とはっきり描かれている猫が、日差しを浴びて陽だまり色に丸まっているのです。ほわんとした淡いコントラストにどこか懐かしさのある温かさが良い具合に重なって、和ませてくれるだけでなく心に深いものを刻んでもくれます。
珈琲の苦味いとはぬ青年にあこがれし日も過ぎ去りにけり (鈴木秋馬)
マッチ擦ることもなければ吸ひさしの煙草もあらず 如何に生きむか(鈴木秋馬)
鈴木秋馬さんの連作から2首。掲載されていた5首はいずれも寺山修司の有名歌からの
本歌取りで完璧なオマージュですが、ただ追っている訳ではないのは一目瞭然ですね。作者の苦悶とも葛藤とも言える感情が
本歌を通過して、この人独自の研ぎ澄まされた詩的感覚と、モノトーンの世界観で厳しく統一されております。2首目の結句「如何に生きむか」が、単なる1首の中の修辞に収まらず、連作全体のテーマと見ます。
ポッケからすり落ちものが何なのか分からないけどたぶん白かった (笹川諒)
子供の頃はそういえばポケットを「ポッケ」と呼び、要るものから要らないものまで何でも詰め込んでいた。私はカバンをあまり持たない人だから、今も多分そんなに変わらないけれど、必要なものだけ(たとえば鍵や財布だけ)を選んで入れるようになったのはいつからだろう。「すり落ちたものが何なのか分からない」作者は問います。そして「たぶん白かった」と結論付けるあやふやな喪失感。
古稀なればピロリ菌など退治せず 共生しつつ余生過ごさむ (大鋸甚勇)
短歌人会員欄の老将(三国志に出てくる黄忠とか厳顔みたいな勇ましい人を想像してくだされば幸いです)と勝手に読んでいる大鋸甚勇さん。もうね、毎回その豪快で男気溢れる詠みっぷりに、私のような若輩は「ははー!」とひれ伏すしかないのですよ。昨今のやたらかまびすしい健康ブームもその大ノコギリでザックリと一刀両断、その通り!菌がなんだ!と、私は大鋸さんの後ろに隠れて今月も声を張り上げました。
ようやつと陽の刺す場所で会へました 女雛さらさら男雛に言へる (柊慧)
そして今回のシメは柊慧さんの、雛人形による美しい会話にて。年に一度会える恋人達といえば七夕の織姫と彦星ですが、そうかそういえば雛人形も普段は箱の中に居て仕舞われているから、考えてみたら会えるのは雛祭りが来て飾られている時だったなと思うとクゥッと切なくなります。いやはやそれにしてもこの視点はありませんでした。